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大人の見識 (阿川 弘之)

 阿川弘之氏の著作は初めてかと思っていたのですが、小さいころ読んだ記憶にある「きかんしゃやえもん」の作者とのことなので、50年以上の年月を隔てた再会となります。

 まず、本書の冒頭で阿川氏は、日本人の国民性を言い表すことばとして「軽躁」という単語を挙げています。

(p16より引用) 日本人の性格がどうも軽躁であると見抜いて注意を払っていた戦国武将は、武田信玄です。「主将の陥りやすき三大失観」と題した信玄の遺訓を読むと、
 一つ、分別あるものを悪人とみること
 二つ、遠慮あるものを臆病とみること
 三つ、軽躁なるものを勇豪とみること

そう戒めています。

 「軽躁」とは、「落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと。考えが足りないこと。また、そのさま」といった意味です。

 本書で、日本と対称的な位置で語られているのが、大人の国「英国」です。
 特に、日本人に欠落しているのが「ユーモア」。他方、ユーモアは「英国紳士」の重要な要件です。

(p70より引用) 議会でイングランド出身の議員が、スコットランド人を侮辱する演説をした。・・・
「イングランドでは馬しか食わない燕麦(oats)を、スコットランドでは人間が食っている」
 この発言にすぐさまスコットランド出身の議員が応じた。
「仰有る通りなり。だからスコットランドの人間が優秀で、イングランドの馬が優秀なのです」
 日本の国会だったら前者の差別発言、ただでは済まないでしょうが、ロンドンの議会は、爆笑で終わったといいます。英国の国民性に、重厚さを貴ぶ一面とユーモアを大切にする一面があることは、注目に値するのではないですか。

 もうひとつ、英国の「大人」の台詞の例として、1920年代、アメリカの教育使節団がオックスフォードを視察に来た席でのオックスフォード大学の総長の挨拶のことばです。

(p98より引用) 「皆さんはこちらへ来られる前、ドイツを訪れて学者を作る教育は充分ご覧になったはずですが、ここではどうか人間を作る教育をみていただきたい」

 さて、話は変わって、第二次大戦開戦期の日本の世情について。
 開戦直後、日本は緒戦の勝利に沸き立ちました。当時の日本指導者層は、開戦すべきか否かの冷静な状況判断を行なったのではなく、「ともかく判断する」ことによる「思考の停止・迷いからの逃避」を選んだのです。

(p130より引用) 京大教授の中西さんが、ギリシャの歴史家ポリュビオスの言葉を教えてくれた。ポリュビオスによれば、物事が宙ぶらりんの状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる。その状態がどっちかへ決した時、人は大変な気持ちよさを味わうのだが、もしそれが国の指導者に伝染すると、その国は滅亡の危機に瀕する。・・・さらにつけ加えて、中西教授が言うには、
「この言葉、近代の英国では軍人も政治家もよく取り上げる決り文句。英国のエリートは、物事がどちらにも決らない気持ちの悪さに延々と耐えねばならないという教育をされている。世界史に大をなす国の必要条件ということです」。

 「大人の判断」を可能とする教育、「叡智」を身につけさせる「大人を作るための教育」です。
 しかし、このような「叡智」は、古くから東洋においても重んじられていました。「温故知新」。有名な論語の教えです。

(p189より引用) 吉川幸次郎先生・・・その人の『論語』・・・に、次のような解釈が出ている。
「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以って新シキヲ知ル」-。
 まさに東洋古代のwisdomそのものではありませんか。

 本書は、阿川氏86歳のエッセイですが、ご本人も「序に代えて」で、「老文士の個人的懐古談」だと称されています。
 今のご時世、老成された一言居士のお考えを聞く機会もめっきり少なくなりました。阿川さんのお話、もちろんすべて首肯できるものばかりではありませんが、なかなか興味深いお話が数多くありました。



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