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STAYART4 DDDHOTEL

2021年 5月に実施されたDDD HOTEL でのインスタレーションの記録です。参加者より送られてきた分身[アバター]とともにアーティストのオオタタクトが作品制作を行いました。文中の解説はオオタタクト本人によるものです。(文中写真は主催者深尾による撮影)


プロジェクト解説 / https://note.com/norindia/n/n140030fd0996

English description /  https://note.com/norindia/n/n9ad67a5781f6



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[ TAKUTO OHTA ]

武蔵野美術大学で助手として働きながら、東京藝術大学で修士過程として在籍している。クリティカルデザインやスペキュラティブデザインを主な専門領域としつつ、領域に囚われない自由な制作を心がけている。ものづくりを中心とした生命の「生産行為」における生産物と消費者の関係性について探究している。


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[ STATEMENT  ]

ウイルスは人類繁栄の大きな理由である「移動」という手段を逆手に取り、 グローバリゼーションと共に文字通り「パンデミック」(※ギリシャ語で pandēmos(pan-「全て」+ dēmos「人々」)した。私たちは自制を余儀なくされたことで 、 移動を尊び新鮮なアウラを求めていることに気がついた。移動には休息が伴い「宿泊」は往来における仮の住まいとして機能していた。 人類の流動的な運動が止まった今、停滞の隙間で新たな価値が必要であり、 生成の一端に加担しようと考えた。


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STAYARTは参加者のアバターを通じた「宿泊」の疑似体験である。ホテルという閉じた空間へのバーチャルトラベルは身体を置き去りにした特別な体験であり、アバターとして差し出された品々は参加者が抱えるリビドーの表れである。肉体の停滞を維持する器官として静止が許されない物流をハックし、 各々が精神を預け身体の代理として世界を知覚するべくホテルの一室を目指す 。そこは未踏の土地であり、アバターは火星探索のローバーの様に現場を散策する事ができる。その為にSTAYARTにはもう一人の登場人物がいる。それは現場に配置された肉体代理人としてのアーティストである 。


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宿泊客としてリアルにホテルへ移動し、実体として現場を知覚しながらアバターに宿る精神を汲み取り活動を起こす。テクノロジーによって切り取られる記憶と記録の断片は参加者にも伝わり、フィードバックによって代理人の行動に変化が生じてゆく。主体と客体の関係値が激しく入れ代わることで輪郭が徐々に具象化し表現として昇華される。私は召喚された肉体代理人として精神を空間に持ち込む参加者とどこまで深く交雑できるのか試すつもりである 。


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変更の利かない参加者の意思と物質的なアバターを自由に操ることができる私に対し、一方的に鑑賞者として代理人を消費することができる 参加者の間にはそれぞれの利害が絡む。私にとって表現とは何かに対する反抗の手段であり、一方的に搾取されるものではない。 参加者は確かなベネフィットとしてこれから行われるハプニングへの加担を手にすることができる。ここは無菌室な表現のホワイトボックスであり、不確実な表現のブラックボックスである。肉体と精神を駆使する一晩の交雑の先に生まれるキメラに私たちは一体何を思うのだろうか ... 


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[ AVATAR ]

アバター(英 : avatar)とは、ゲームやネットの中で登場する自分自身の「分身」 を表すキャラクターの名称。ユーザーは、画面上の仮想空間で、自分が設定した ( または指定された ) キャラクタ ーの外観を選んで、意思表示や行動を行うことができる。現実世界と同じように、仮想空間で出会う人にアバターが物を渡したり会話をしたりといったことが行える。WEBLIO 辞書
今回のステイアートにおけるアバターは物質を通じた参加者の化身である。送られてきた多種多様なアバターに残る痕跡やモノの持つ文脈 、企画への参加とアバター選択の意図について考えた。思考や行動は人を無意識と意識の反映であり、密室で対面したアバターからは様々なストーリーを汲み取り創造する余地があった。


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[ CONCEPT ]

Avatarの語源はサンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)で、インド神話や仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味する。この世を救うため仏が姿を変え現われる事を指している。理解を超えた現象や絶望的な状況に対し人知を超えた存在が状況を収め秩序を与える。人間の具現化や偶像化の先にあるものは肉体を超えた精神の安定があるのだろう。インド哲学では梵我一如といって超越的な存在が肉体の内側(アートマン)と外側(ブ ラフマン)にいるという。それらの合一こそが究極の寂静であり , 悟りだとされている。



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私たちは現代の情報社会において 、精神の代理としてアヴァター ( アカウントや情報 ) の生成を通じ自己のアイデンティティ形成を行い価 値観や行動を変化させる。2020年を振り返るとSNSのハッシュタグを基点に起きた活動が中心にあった。いずれもが私たちの価値形成の成り立ち、視点、振る舞いの脆弱さや固着具合を露わにするモノばかりであり、隣どころか常に内在的に存在することを明らかにした外在的な問題 提起だった 。個は常に多元的でいくつもの領域を横断しながら生きている複雑な情報で、故に自己は他者を「わかったつもりになる」ことから「わかりあえないことをわかりあおう」といった新たな思想がさえ発生している。それは他者性と自己性の拡大化であり、人口増加に対する人類の新たな反応である。


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いつのまにか人類として結束することが全体の一つの命題になったのだろう。 コロナがグローバル社会に証明したように、各々が生み出す情報の欠片が全体へと影響を与えることを実感し、狭い地球の中で繋がりに意識が向かわざるえない状況である。SNSによって爆発的に広がった活動は構造的弱者による自己性からくる抗議が発端であり強烈な他者性への同調が連鎖していったものだった。当時、私はムーブメントに飲み込まれてゆく周りの人々を見て怖いと思ってしまった。SNS上に投稿されるハッシュタグやアイコニックな写真の数々に、全体主義的な同調圧力や、複雑な文脈へ安直に理解を示す無 責任さを感じたからだ。しかしながら、停滞した個の集合体がアトム化した大衆へ変化していくことの方が私にとって嫌悪感があった。今まで知ろうとすらしらなかった情報や状況を自らの内側へ飲み込み、表現として外側へ出す 。情報過多な世界における新陳代謝の在り方を模索することにした 。


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SPECIAL THANKS TO

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ERI FUKAO
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SATOKO TABATA
SINO
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YOSHIKO TATSUOKI
YU KATAHIRA 
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#STAYART


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プロジェクト第5弾LINK / https://note.com/norindia/n/n22a4a3e379bd



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