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石巻に行った時のこと②

6年前に宮城県の石巻に被災地の復興支援の仕事で行った話の続きを。


宮城県、石巻で働くYさんの業務に数日付き添わせていただき、過ごしていたある日。
それまでと違う方面に車を走らせていて、町の雰囲気が急にガラッと変わったのに気づいた。一気に賑やかで飲食店などもたくさんあるような場所に変わった。
「なんか、急に町の雰囲気が変わりましたね」と窓の外を見ながら運転しているYさんにそう言ったら、Yさんは、
「女川です」とぽつりと言った。
ああ、震災のニュースでよく聞いた地名だなぁと思い、どんな場所なんだったっけ、と思い出そうとしていたら、Yさんがこう言った。
「原発のある町なんで。被害は受けなかったけど、原発があるおかげで町は潤ってるんですよ。復興も進んでいる」
「ああ、女川原発」思い出してそうつぶやいた。
石巻市が想像以上に大きいこと、隣の女川町と雰囲気が全然違うことに驚いた。原発マネーか。震災前はもっと賑わっていたのだろうなという町の形跡があって、復興も石巻より進んでいるような印象を受けた。

女川町の高台にある大きな病院に行き、いくつか用事を済ませた後、病院の敷地内にある喫茶店に立ち寄った。
店の中にここまで津波が来たという印があってまた驚かされた。この病院自体がかなり高台に建てられているのに、こんな高さまで津波が来たなんて、どう考えても信じられないし、勝ち目がないという気持ちになった。
私と同じように今、ここの喫茶店にいた人たちはほとんどみんな、あの津波から何とか逃げて生き延びた人だと思うと、それぞれが壮絶な体験をしたのだと思って何も聞けなくなる。
こういう辛い体験をした人に寄り添うことは、まずは静かにその人の話を聴くことだというセオリーがあるが、何度も同じことを聞かれている人たちに何度も話させるのは部外者のエゴのような気もして、石巻で過ごすうちに、私は何も聞かなくなってしまった。
その代わりというのも変だが、黙って一緒に釣りや将棋をしたり、インドでの不思議な旅の話をしたり、大阪の話、宮城の名産物の話などをよくしていたような気がする。

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女川の病院を出てから、Yさんは大川小学校の跡地に連れて行ってくれた。


大川小の悲劇は私もはっきりと記憶していたから、実際どういう位置にあるのかを知りたかった場所である。
着いてみて思ったのが、海は見えないが大きな川がすぐ近くにあること、報道の通り、学校のすぐ裏に山があることだった。
裏山は報道で見聞きして想像していたよりも、すぐ裏、すぐそばにあった。だけど、小学校の低学年が登れるかというと正直厳しいのではないかと思うような斜面でもあった。津波についての知識があった学校なので裏山へ避難する練習などしていたのだっけ。練習しておけば、先生と一緒なら登れそうな裏山ではあった。
地震後、
今私が立っている校庭だったこの場所に全校生徒が集められて50分ほどこの場所で待機していた子供たちのこと、
何人かの子供たちは親が迎えに来て避難できたこと、
先生の指示でみんなで川の方に向かって歩きそのまま津波に飲み込まれたこと。
数人が自分の判断で裏山にのぼり命が助かったこと。
裏山に登っていたのに先生に連れ戻されて津波に飲み込まれた子供がいたこと。
助かった子たち(確か4名)は、同級生がほぼ全員(74名)ここで死んでしまった現実に向き合わないといけなかったこと。
想像するだけで胸が痛かった。
この感傷で終わってしまってはいけないと思ったが、何をどう考えたらいいのかよく分からないのが本当のところで、
緊急時に迅速に正しい判断をすること、
パニックにならないこと、
そのために日頃から考えておく必要のあることをリストアップしておくこと、
組織の上の立場の人間に求められることの重みを分かっておかなければ、と自分の環境に置きかえてそう考えた。
それくらいしか考えることができなかった。

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その後、Yさんに「麻雀と将棋、どちらかできますか?」と聞かれたため、「麻雀はチートイツしかできないけど(2回目の回答)、将棋はできます。飛車角落としてもらえれば、前半はある程度いい勝負をして、割と見せ場を作りつつ必ず私が負けるというパターンですけど。勝てたことはほとんどないです。」と答え、ある被災者の人と将棋をして過ごすこととなった。

将棋の後半、追い詰められて迷いながら時間をかけて間違ったさし方をして、「それでは逃げ場がなくなるよ」と対戦相手の方からアドバイスをもらった。
結局、持ち駒もなくなり、四方八方封じ込められて負けた。まあ、私の将棋のいつものパターンなのだが。
大川小のことが常に心に引っかかっていたので、将棋で封じ込められるような私は大川小の先生と同じことをしたかも知れないなどと考え、追い詰められて自分に何も策が浮かばなかったとしても、冷静に判断できている人の意見を聞いて、それを冷静に判断できる頭、とにかく「冷静さ」「判断力」を失わないようにしないといけないと教えてもらっているような気がした。


読んでくださっている方々もお察しの通り、ただの深みのないちっぽけな私の石巻の旅日記です。
あまりに巨大で想像を絶する体験をした人々やその土地に触れると、結局自分で見て感じたことから本当に得られるものは、自分が理解できる範囲の狭い世界に落とし込めてスケールを小さくしたものしかない。そのスケールの小ささが時間を経て大きくなることもあるかも知れないが。


またもや長くなりそうなので、続きはまた次回。


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