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また戻る、サンティアゴ・デ・コンポステーラ

またこの場所に戻って来られるなんて夢みたいだった。

6年前は、大掛かりな改修工事中で青い足場が組まれていたサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂だったが、初めて全貌をはっきりと見ることができた。
まぶしい。
そして大きい。
あちこちで抱き合うペレグリーノ(巡礼者)たち。
「We made it!」
私もフェデリコと抱き合う。
少しだけ早く着いていたクリスティーナも見つけて、喜びながら抱き合う。
それから、それぞれ1人になり、私は6年前と同じ場所に座り込んでただただ大聖堂を見つめた。
ずっと、歩き旅の途中でいろんな場所で食べてきた朝ごはんだが、最後はここで1人で食べたかった。
バックパックから手作りのハンバーガーを取り出してほおばる。
今までで一番最高の景色が目の前に広がっている。

ちなみにこれは6年前


巡礼事務所へ巡礼踏歩の証明書(コンポステーラ)をもらいに行く。
6年前は、受付の人にクレデンシャル(スタンプを各地で押してきた巡礼手帳)を見せて、「どこから歩いたの?」「おめでとう。カミーノはどうだった?」「名前は?」というやりとりをして、証明書に名前を書いてもらったのだが、昨今のカミーノのブームのせいでかなり証明書の発行はシステマティックになっていた。事前にWEBサイトから登録し、自分の情報を入力してQRコードを発行し、それを見せればプリンターから私の名前と日付が入った証明書が印刷されて出てきた。
味気ないと言えば味気ないが、私にとって2枚目の証明書にそれほど大きな意味はない。
それよりも、道の途中で出会って一緒に過ごした人たち、笑った時間、景色の写真よりも多い食べ物の写真、仲間との写真。
サンティアゴの町に入ってしばらくしてから、路地の隙間の向こうに、大聖堂の塔が初めて見えた時のあの胸がギュッとなって、なんとなく目頭にジワッときた瞬間。
大聖堂の前に立って見上げて笑った瞬間。
これがすべてだった。
このために歩いてきた。
ポルトから歩いたのは、たったの2週間程度280kmだが、コロナ禍の身動きの取れなかった3年の思いも足していい気がする。どこにも行けずに、せめてと思って仕事帰りに2時間歩いて帰っていた日々も、ソロキャンプで立山を歩いたり、琵琶湖でぼーっとした時間も、仕事で辛かった時間も、悲しかった別れもすべて。
この、大聖堂の前の笑顔に繋がった気がした。

このボタフメイロの振り子の儀式がすごい。




夜のミサに出て、滅多に行われないボタフメイロ(大聖堂の天井に吊るされた巨大な香炉が振り子のように振られる儀式)が行われ、歌に感動したが、なんとなくこれで終わったという気持ちになれなかった。その夜はデイヴも合流してクリスティーナと私と3人で、仲間の飲んでる店を何軒もはしごして祝ったのだが、まだ歩きたい気持ちが抑えられない。
6年前は、サンティアゴに着いて大聖堂のミサでボロ泣きしてここがゴールだと思えたが、今回は、隣にいる、この何日間も一緒に過ごしてきた人たちともう少し一緒にいたい、もう少し歩きたいという気持ちが強くて、サンティアゴから西の果てのフィステーラまでもう3日間追加で歩くことにした。
今回の私のゴールは、フィステーラだと思った。ポルトガルのポルトから海沿いの道をひたすら歩いてきたから、やっぱり最後は大西洋の海でゴールにしたかった。

ずっとサンティアゴに向かって歩いてきたのに、初めて大聖堂に背を向けて歩き始めた朝。
フィステーラとは、世界の果てという意味で、ユーラシア大陸の端にある。

そして、3日間歩き、フィステーラの海が見えた時、私の今回のカミーノは終わりを迎えたと同時に、フィステーラで46歳の誕生日も迎えた。
仲間とのお別れ会も兼ねて、盛大な誕生日会をしてもらい、最高に楽しい誕生日となった。
ここで食べたイカフライは人生で1番美味しかったし、フォークをマイク代わりにして、デヴィッド・ボウイの「スターマン」をみんなで熱唱したこと。
その後のバルで飲んだり踊ったり笑ったりしたこと。「日本人はシャイだって嘘だろ!」と言われまくったこと。
思い出した今も、笑えて仕方ない夜だった。

その翌日、一人一人が順番に別々の国へと帰って行って、私はまた1人になった。
毎日フェデリコやデイヴやクリスティーナと賑やかな夜を過ごしていたのに、急にまた1人の晩ごはんが寂しく感じた。
私の旅はまだ続くのに、どうしようと不安になるくらい、達成感と燃え尽きた感じがある。
別れが悲しかった。
だけど、それでもまだ人生は続くように、私の旅も続く。
カミーノは、ホタテのサインと黄色い矢印に従って進めば良かったけれど、これからは、自分で決めた道を進んでいかないといけない。
でもきっと、分かれ道の要所要所で何らかのサインがあるのだと思う。
それは自分の心の中にあるのかも知れないし、誰かの何かかもしれないけれど、それを見落とさないように進んでいくしかない。

そして、人生のどこかのタイミングでまた、きっと。

サンティアゴの大聖堂を見上げて、「きっとまた、ここに歩いて戻ってくる。」と伝えた。
サンティアゴと私の約束。

ボウイを知らない20代と知ってる40代の温度差も味わい深かった。
あまり飛べてない…。
ふくらはぎの筋肉の発達に自分で注目している。



※歩き旅を終えたので、いきなり最終回だけ書くというnote。
歩き旅の日々については、落ち着いてからじっくり書きたいので、最終回だけお届け。

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