見出し画像

スタンディングねぎ鍋 〜自立とは何かを考えるキャンプ飯〜

キャンプ初日にハンモックがちぎれて落下しお尻にヒビが入っている状態(まだその事実は知らない)の私は、立ち上がったりするのがお尻的にきつかったため、お尻に氷をのせて横たわるか、お尻に氷をあてて椅子に座るしか維持できる体勢がなかった。
晩ごはんは焚き火をしたりポトフを作ったりはキャントナー氏(今回のキャンプのパートナーの略)が勝手にやってくれていたので、私は私の一品を作ること、そしていつも通り米を炊くことに専念した。

キャントナーの作る一品は「ポトフ」でいくと聞いていたため、私はそれに合う料理を考えてみようとした。
がしかし、まったく浮かばなかった。
そりゃそうだ、野菜だけの煮物などを作ることはないし、店で注文することもなかった人生。ポトフに合う料理など分かるはずがない。
ポトフの出来次第ではカレールウを投入してやろうとタイミングを虎視眈々と狙うことにしたから、カレーに合う副菜ととらえた方がいいのだろうか。それだとスパゲティサラダとかだろうか。しかしルウ投入タイミングがなかった場合どうしよう。野菜汁とスパサラだなんて、肉不足もいいところである。
いや待てよ。
カレールウをポトフ鍋に入れるのはポトフへの冒涜ととられそうだが、自分の小皿に盛ったポトフに何かを足すのならば、誰の許可も必要ではないはず。カレー味まではいかずとも何かないか…。
何かないか…。
そういえば、ポトフはカレーの途中経過に似ているが、肉じゃがの途中経過にも似ているじゃあないか。
よし。
しっかり味の付いた肉の煮物にすれば、合体して肉じゃがにすることもできる!
我ながらものすごい発明だ!
普段は味変をする勇気のない臆病者だが、この味変には果敢にトライしたい。私は、そのままで十分気に入っている味の料理をリスクを背負って何かを足して味変するのは勇気がなくてできないが、それほど気に入っていない味の料理を自分の好みに近づける前向きな味変は得意だ!
味の微調整とも言うし、自分の好みに寄せるだけとも言えるが、そんなわけで、一人心の中でポトフの味変作戦を保険として用意することとした。

(注:今の私はポトフへ敬意を持っております。こちらの方からポトフへの向き合い方を学び、考えを改め直しています。)


で、何を作ることにしたかというと、すき焼きである。
すき焼きと言っても、もはや牛肉だけで良いのだがどうしたものか。そんな一品を出せば、「お前はやはり肉しか知らない」とキャントナーに呆れられてしまう。白菜とか色々入れ過ぎたら本当に野菜ばっかりになって、それはそれで困る。何に困るかと聞かれても困るがとにかく困る。
Google先生に相談し、「シンプル、すき焼き」で調べてみたら、これまで出会ったことのないメニュー名に出会った。
その名も「スタンディングねぎ鍋」
何だそれは。
画像を見てびっくり。
太ネギが鍋の真ん中で立っていた。
おお、ほんまにスタンディング。
見事な立ち姿だ。
スタンディングねぎ鍋というメニューは初耳だという方は恥ずかしがらずに見てみるがよい。美しい世界が広がっている。

立ち姿に一目惚れして、私の出し物は、「スタンディングねぎ鍋 すきやきバージョン」に決定。

さて当日。
予想外のハプニングでスタンディングできない私の代わりにネギをスタンディングさせることにしたのだが、作り方は簡単。レシピを載せますのでメモのご用意を。

【スタンディングねぎ鍋すきやきバージョン】
太ねぎを、鍋の深さくらいに合わせてカットし、鍋の真ん中に鎮座。その周りをすき焼き用のちょっとええ肉で取り囲む。そして鍋の中にエバラすき焼きのたれを注ぎ、火にかけたら出来上がり!

超簡単。
なのに、なのに。
火があまり通っていない生に近い状態のおねぎが苦手な私は、カットしたねぎの全身にちゃんと火を通したいと思いついてしまった。
はい、この考えが過ちの原因。
ご丁寧に、まずねぎだけをすき焼きのたれで軽く煮た私は、立たせる段階で己の過ちに気づいた。
ねぎがくたくたで立たれへんやんか…。
衝撃である。
お尻の骨にヒビが入っているだけで立てない私が、ねぎに火を通してくたくたにしてしまったら、ねぎだって立てるはずがないのである。
愚かにもほどがある。
立つためにはいかに骨組みや体幹が大切なのかを、自分自身が分かっているようで分かっていなかったのかも知れない。他人の痛みに対して、我が事として考えられていない証拠である。最低だよ私。
しかし時すでに遅しである。
ねぎの背骨は壊滅的で、もう立てる体ではない。
それ以前にねぎが少量過ぎて、もたれては共倒れするおねぎちゃんたち。
ああ、自立できないおねぎちゃんたち。

でもね、自立ってのは、誰にも頼らずに生きることじゃなくて、色んな誰かにまんべんなく頼れることなんだ。
急に教育的観点から思い立ち、周りに牛肉を敷き詰めて、おねぎたちを支え始めた。
力強いよお肉ちゃん。頼もしいよ。
「人」という字は人と人とが支え合って、という金八先生の嘘っぱち発言があるが、それを言うなら「肉」という字は鍋の中で、みんなで支え合っているように見えてくる。
そう。
そうなのだ。
肉は多くの食材を支え、そして、肉は私を含めた多くの人々を支えている!
私からの渾身の一品はこうなった。

画像1

火が通ってくたくたになったおねぎをお肉ががっちりサポートするという感動のストーリー「スタンディングねぎ鍋」
火を入れる前の状態。

画像2


私だって、誰かに支えてもらっているし、誰かを支えている。
「スタンディングねぎ鍋」にこんなに多くのことを教えていただけるとは思いもよらなかった。人生、どこにでも学びは転がっている。
ありがとう、スタンディングねぎ鍋。

そして。
食べる時は無関係かつ無慈悲に、ねぎも肉も寝かせて食べた。
味が染みて、くたくたになっているねぎがやっぱり好きだなあと思ったし、ポトフと混ぜて肉じゃがにする作戦はすっかり忘れてしまっていたけれど。
そんな晩餐。

画像3



スタンディングねぎ鍋に必要なものはねぎとお肉とこちらの鍋とエバラ。


この記事が参加している募集

最近の学び

サポートしていただければ、世界多分一周の旅でいつもよりもちょっといいものを食べるのに使わせていただきます。そしてその日のことをここで綴って、世界のどこかからみなさんに向けて、少しの笑いを提供する予定です。