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ドタバタした旅の始まり

結局、前日の夜遅くから荷造りを開始し、一睡もしないまま旅立ちの火曜の朝が来た。
と格好良く書いたが、まだ朝になってない。


何でこうなったかと言うと、日曜の夜中のメッシのせいだし、M-1のせいでもある。M-1の最速反省会や打ち上げを見ながら、サッカーも見て、鎌倉殿の最終回も見てたらとっくに朝で、眼球の疲れのピークで眠ったら、月曜の昼下がりになっており、白髪を染めたり風呂を掃除したり、台所を片付けたりカツ丼を食べたりしていたら夜になった。
土曜のしめちゃんとの墓参りもドタバタだった。大雨だったし、大団円でお見送りされた送別会のすぐ後なのに、忘れ物を取りに帰り道に職場に寄ったら、みんなが「え?」って豆鉄砲顔になってたので逃げるように車に戻り、しめちゃんと地元に戻ったら車をぶつけた。そして母はコロナでホテル療養となり、私はしめちゃんとのヤサグレ会で笑いすぎて少し喉が痛いが、なんとか3年間、コロナから逃げ切って旅に出られる。

荷造りに関しては、自炊グッズを1番最後に回したせいで、タイムオーバーで色々詰め込めていない。
茅乃舎のだしとうどんだしと塩昆布は入れたが、あとはキッチンで目に入ったものを適当にジップロックに詰め込んでバックパックの1番上に押し込んだ。はちみつ紅茶とか伊右衛門の緑茶スティックとかポカリの粉末とか、広島のふるさとレモンとか、マルコポーロのマリアージュとかも、ドリンクコーナーを狙うUFOキャッチャーのようにガサッと掴んで詰め込んだワイルドチョイス。

それでも意外とバックパックのスペースはまだあった。時間がないとはいえお約束のバックパックの計量はちゃんとやる私。
なんと、バックパックは10kgだった。
いつものソロキャンプよりも大分軽い。


3週間のカミーノ歩き旅よりも2kgも軽い。 コロナ禍にソロキャンプを繰り返したおかげで、荷物の軽量化の腕が上がりまくったのか、はたまた何か大事なものを忘れまくっているのか。
それは旅が始まってから知ることとなるはずだ。前者であってほしいと願う。
こんなに軽いならお椀とかコップとかゆるいズボンとか詰めれば良かったのだけど、もう時間がないから諦めることにした。

最後に、しめちゃんに餞別でもらったお菓子を全部サブバッグの方に入れる。旅のお供に、と書いた手紙と一緒に貰ったものである。
色んな人から仕事がらみでいただいたプレゼントのお菓子は大半がチョコレートで、しかもカカオ◯%と書いてあるやつだった。タイは暑いからチョコは溶けたら嫌だし、カカオ濃度が高いものは食べない主義なのでポン子さんとしめちゃんに全部あげた。
その代わりにしめちゃんがくれたお菓子は、本気な感じのスイートポテト(鳴門金時と紅芋2つ)、本気っぽくはないけどちゃんと美味しいアップルパイもどきと、本気のいちごチョコと本気のいちごのミルフィーユクッキー。本気とはちゃんと由緒ありそうな店のもののこと。私の好みを押さえてバラエティーに富むしめちゃんのチョイスはやはりセンスが良い。そしてポン子さんがくれたメキシコ土産のブレスレットをつけた。おしゃれ番長はやはりセンスが良い。
そんなことをしている間に家を出る時間がきた。まだ夜が明けていない。
ガスの元栓を締め、エアコンを切り、生ゴミをまとめて、脱ぎ散らかした冬のパジャマは一応畳んでベッドの上に置いて、電気のブレーカーを落としてまだ真っ暗な中、ひっそりと家を出た。
多分色んなものを忘れている。
ピーチサンダルを忘れたことを思い出した。どこかで買おう。パスポートさえあれば、旅立つことはできる。 

次にこのマンションに帰ってくる頃の季節は何だろう。
そういえば、私は、正真正銘の自分で買った自分の家から海外へ長く旅に出るのは初めてである。ガスを止めて、電気のブレーカーを落として家を出たが、この一時的な家じまいの段取りが難しかった。
冷蔵庫を空にするべく、冷凍庫のもの全てをぶち込んでカレーを作ったのだが、びっくりするほど美味しくなかった。
カレールウを使ったというのに。
おそらくいつからそこにいたのか謎のミンチ肉に、とにかく変なにおいが染み付いていたせいである。冷蔵庫のカボチャや玉ねぎみじん、カリフラワーライス、ミンチを一度に使うにはキーマカレーしかないと思い挑んだのに大失敗だった。これからカレーの国に向けて旅に出るというのにカレーにする必要はなかったから、プランニングからミスしていた。

なんでそんな変な時間の飛行機を取ったの?と妹に聞かれたのだが、年内に旅立ちたくて、飛行機を押さえるのが遅かったからもうここしかなかったのだと説明した。
なんで関空からじゃないの?とも聞かれた。
それは私もそう思う。
できれば私だって、これまでの旅のように関空から旅立ちたかった。それも同じ理由で、伊丹から羽田に飛んで、羽田から国際線でタイへ飛ぶという変なルートになった。
このさほど思い入れのない空港を使って、私は長旅に出る。
一睡もしていないせいで、込み上げるものは睡魔だけである。
もっと感慨深い旅立ちの日を迎えたかったが、これもまた私の旅の始まり。
ただドタバタして色んなものを家に忘れてきたことを思い出しては「しまった…」と気付いていくが、羽田空港の国際線ターミナル3は何にも店がない。
無印もダイソーも。
関空なら、成田なら…。
悔やまれるが仕方ない。
気を取り直して、眠気と闘いながらなんとか集中力を保って空港で書いた文。
こんな文から私の世界多分一周旅は始まってしまった。

チェ、連れてきた。
タイ、バンコク到着


これにて「世界(多分)一周旅の構想note」マガジンは終了し、


これからは、
「世界多分一周旅の途中」マガジンに綴っていきます。

相変わらずのタイトルをつけるセンスのなさに嘆きつつ、興味のある方はぜひ、引き続き、お付き合いをよろしくお願いします。

サポート飯もそろそろ…

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