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【LDLバディ対談】わたしがUターンした理由

オンラインでの対話がメジャーになったおかげで、私のように田舎に住んでいても、様々な場所の方とディスカッションできるようになりました。夢みたい。

今回は、木下斉氏がが所長を務める、地域を本気で変える人たちが集まる研究所「Locally Driven Labs(以下、LDL)」のメンバー間の対談企画。

テーマは、Uターンした理由
お相手の昌子久晃(しょうじひさてる)さん。
故郷を離れ、サラリーマンをした後に京都にUターンした方でした。
お父様のお店(お坊さんの衣を扱うお店)に入られた後独立、臨済宗専門の法衣などを扱う事業を営まれています。

「いつかは地元に帰ろうと思っていた→自分で商売することを選んだ」という私と、「いつかは自分で商売をしようと思っていた→地元を選んだ」という昌子さん。順番は違えど、生まれ育った地元で商売をしている者同士、共感する点と新たな気付きとのある、「また話をしたい!」と思う時間でした。



〇いつかは事業を。それに役立つ仕事についた

大学卒業後、大手法人金融オリックスに就職。
地方の中小企業相手の営業職として、全国各地の支店を回る。

(白)就職された時から、いつか自分で商売をしたいと考えていたのですか?
(昌)それは確かに思ってました。オリックスという金融会社は、海外を舞台に活躍するような花形部署もあるんですが、私はちょっと変わり種で、地方支店で中小企業さん相手の営業を希望しました。
希望通りに地方勤務となったのですが、これが結構忙しくて…「自分で商売をしたい」という気持ちもなんとなく日常に忙殺されていっていました。そんな中、ふとした時に、人生一回だし、一生サラリーマンでいるんじゃなくて、自分の生き方をしないといけないと強く思うようになって。

〇まずは家業に従事してから独立創業

11年務めた後、2013年に地元京都に帰り、父親の会社に入る形でUターン。
父親が法衣を扱う事業をしていたので、そこに従業員として入る形で手伝いました。
その後2021年9月に独立。法衣を扱う会社を創業されたそうです。

(昌)…かといって、いきなり起業するようなノウハウはなかったので、幸いなことに父親が事業をしていたので、一緒にやらせてほしいと言って、京都に帰りました。
そうして7、8年、やっぱり親子で一緒に働くというのはなかなか…お互い我慢もしながら働きました。そうしているうちに、やっぱり自分でやりたくなっちゃって。で、独立して今ちょうど3年が経ちました。

〇お寺のプロモーションをお手伝いできる法衣店

(白)それにしても、面白そうというか、京都ならではなお仕事ですね。うちは実家が寺で姉が継いでいるのですが、ピンクや薄緑みたいなカラフルな法衣も着るんです。そういう個性的なニーズもあるのですか?
(昌)はい、お寺さんは、宗派という大組織に属してはいますけど、 やっぱり自分のお寺に戻れば自分の城みたいなもんですから、そこで何をするかは、結構自由な発想でされるお寺さんは多いですね。
むしろそういう特色を出していかないと、世の中のお寺に対する需要に対してお寺の数は多いと感じるので、やっていくには工夫も必要です。

全国にあるお寺の数は半端なく、一説によるとコンビニより多いとかなんとか。
昌子さんは、お寺で「何もしない」というイベント企画、学習塾の寺への誘致など、世間とお寺をつなぐ橋渡しをされています。寺の特色、世俗との見えない壁、地域の課題を理解しておられる昌子さんだからこそ、つなぐことができることだとわかります。そこには、地方の中小企業への融資営業で培った「こうしたらもっと良くなる」というアイデアアンテナも、大いに生かされているのだろうと思います。

〇「Uターン前にやっとけばよかった」後悔は”学ぶこと”

(白)昔こういうのやっとけばよかったなとか、やってから帰ってくればよかったなとか、そう思うことってありますか?
(昌)一言でいうと、学び、勉強です。最近になってやっと「学ばないとやばい」と強く思うようになりました。そう思った一番のきっかけが、木下斉さんのVOICYです。そこから、LDLにも参加して。ほかにも様々な学びにアンテナを立てています。もっと早くから一生懸命やっておけばよかったな~とはすごく思います。
といっても後ろを振り返ってもしょうがないので、これからしっかり学んでいこうとしているところです。
そういう意味では、木下さんは何といっても厳しいというか、ケツをたたいてくれるので。ちょっとでもぬるいことをすると、目を付けられるんで…
自分はだらけがちの性格なので、あえてこういった場に身を置いておこうと思っています。

なるほど。後半すごいわかりますわ。私も一緒かも。
ちなみに木下斉さんのVOICYはこちら。

〇「学ばなきゃ」って思ったきっかけは?

(昌)やっぱり、生きてる限りは成長したい。特に京都に帰ってから、その気持ちが強くなりました。父のもとでも自分は給与所得者でしたから、やはり甘えがあって、そういう気持ちを打破するために独立もして。
子どもが3人いるんですが、自分の飯は自分で稼いでいかないといけない。ちゃんと稼ぐには、ちゃんと勉強しないといけないなと。


〇知るともっと知りたくなる

自分で商売して生きていく。
昌子さんは、学生のころからいつかは自分で商売をして生活を立てていきたいと考えておられたようです。

  • なぜ自分で商売したいと思ったのか

  • なぜそのフィールドを地元京都にしたのか

  • 家業と類似だけど違いはどこなのか

  • 今後拡大するとは思えない寺相手の事業を選んだ理由

などなど、対談してから”根掘り葉掘り聞きたいこと”がふつふつと湧いてきます。

バディ対談をきっかけに、LDLの同志のことを深く知り、互いに高めあっていけたら幸せです。


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