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虚空の人ー清原和博を巡る旅 鈴木忠平

若い頃の清原のイメージは、明るく、素直で子供っぽいイメージだった。
多少やんちゃな感じはあったとしても、誰かにガツンと怒られれば「ごめんなさい」としゅんとしてしまうようなイメージだったのだけど。

だから薬物で捕まった時にはちょっとびっくりした。
ダメになるとしても、そちらにいくイメージがあまりなかったから。
どこでどうなってこんなことになったのか。
まず、清原が金になると思った人がいたのは間違いないけれど、薬物に手を染めた時、周りに怒ってくれる人がいなかったのか。
「偉く」なってしまった彼自身が聞く耳を持たなくなっていたのか。

ひとが薬物やアルコールに手を出して中毒になるのは、上手くいかない現実を忘れるためだったり、本当に欲しいものを手にすることができない焦りからだという。
清原が逃れたかったのは、野球かホームランか「清原和博」か。

一時期、野球解説で復帰してきた時、「清原の解説、つまんなそうだなぁ。
こっち方面でやっていけるのかしら」と思ったけれど予想通りいつのまにかまた見かけなくなった。
ただ、これは解説がつまらなくて使えないということではなさそうだ。
清原はまだ全然、こちらに戻ってこられないのだ。

何かに取り憑かれるということは怖いことで、ある種選ばれた人にしか許されない。
野球に取り憑かれた現役時代の清原はさぞ魅力的だったのだと思う。
そしてその時代の彼に魅せられた人は、彼を見捨てることができない。
ダメになった彼を今だに世話し続ける(多分経済的なことも丸抱えで)ひとがいるようだ。
その気持ち、ちょっとわかる気がする。
「取り憑かれた人」はそれぐらい魅力的だから。
「取り憑かれた人」が見せてくれたものが、あまりにも素晴らしかったから。

12月5日付の朝日新聞に著者の鈴木忠平さんの記事が載っていた。
鈴木さんは、限られた時間で記事を上げていかなければならない新聞記者に限界を感じ、新聞社をやめてフリーのライターになる。
この本を書く中で「あなた、清原を食い物にしとるんじゃないか」と言われる。人目をひくだけの記事じゃなく、しっかりとその人と向き合って深く掘り下げたものを書きたいと思ってフリーになったのに。
それでも結局、鈴木さんは書く。
「書く」という仕事もまた、何かに取り憑かれなければ成し得ない事がある。鬼にならなきゃ、書けないんである。

清原はまだ闇の中にいる。
チラチラとあかりが見えた気がすることもあるけれど、暗い森の出口は一向に見つからない。
本書は最初から最後まで、同じところをぐるぐる周り続ける清原が書かれているだけだ。
「遥か遠いけれど希望の光が見えました」とはならなかった。

野球はほとんど見ないし、清原も有名人だから知ってる程度の興味しかない私だけど、この本を読んでから何かの拍子にふと、清原、なんとかこちらに戻ってこられるといいなぁと思う。
そして、いろんな人のそんな思いがたくさんたくさん集まった時、清原は帰ってこられるんじゃないかとも思う。
清原とはなんの関わりもない私にそう思わせるのは、鈴木忠平さんの筆の力である。

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