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Waltz For Debby⑦

それから。
デボラはインプレッション・レコードからアルバムをリリースした。
そして、拠点をロンドンに移し、ロンドンのあちこちでステージに立ち人気を博した。
ジョンはそんな彼女を支えつつも、グロスターでピアノを弾き続けた。
デボラのマネジメントも担うようになったため、自身のステージはあまり立てなくなっていた。それに…彼らには二人の子どもが産まれていたから、ジョンはピアノから遠ざかるばかりだった。
そんなジョンにデボラはいつも
「一緒にステージで弾かない?」
と誘ってはいたのだが、ジョンは首を振るばかりだった。
「もう、ろくろく弾いてないから…今更大舞台に立てる気がしないよ」
と。
マネジメントも子育ても慌ただしく、ピアノをしっかり弾く時間は取れなかったのだ。
デボラは残念そうにしながらも、彼女らしく折に触れて彼女はジョンを誘った。
ジョンはまた根負けして小さなステージなら、と承諾した。
そこでグロスターの小さなホールでダブルピアノのステージを開催した。
そのステージでデボラは名演と言われるピアノを叩きだした。
全てを圧倒するパワー。あふれ出る感情を余すことなく込め、その情景すら浮かぶほどに音を紡ぐ。ジョンは向かいで一心に弾き続けるデボラを見て、いつの間にこんなところまで来てしまったのだろうと、初めて出会った頃を懐かしく思い出した。
今はもう、ジョンはデボラにかなわない。
そしてそのことをもう悔いたり、悲しんだりはしない。
ジョンは静かにおのれの道を受け容れたのだ。
その後もデボラはジョンを誘ったけれど、ジョンは二度とうんとは言わなかった。
デボラはその後もアルバムを数枚出し、あちこちのミュージシャンとコラボレーションしながらピアノを弾き続けた。彼女の名はロンドンから世界に広がりを見せていた。
それをジョンは満足そうに見つめた。
しかし、まだまだこれからという時に、デボラは癌に倒れる。
42歳の若さで発症したガンは瞬く間に彼女を蝕んだ。
弾きたい、でも弾けない、と泣く彼女をジョンは支え続けた。
病でボロボロになった体を引きずってでも、デボラは舞台に立とうとした。
だが、そのわずか1年後。43歳の若さでデボラはこの世を去る。
デボラがジョンをずっと誘い続けた理由を彼はデボラの臨終間近に知ることになる。
「生きて、もう一度あなたと弾きたい」
デボラはそう言って、この世を去った。
その言葉はジョンにもう一つの悔恨を落とした。
諦めるのではなかった。弾き続ければよかった。
負けたと思っても、打ちひしがれても、しばらくはうずくまっていても、もう一度立ちあがればよかったのだ。
なぜ勝ち負けではないとわからなかったのだろう。
デボラは…彼女はずっと変わっていなかったのだ。
かつて、そうしたように、ジョンと、ずっと弾きたかったのだ。
ジョンのピアノが大好きで惚れ込んでいたのだ。
それがデボラを亡くしてからわかるだなんて、とんだ大間抜けだ。


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