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現代の「モノ作り」

【現代の「製造業」は「お金」が全て】
「モノ作り」というキーワードで思い起こされるイメージは、手工業のイメージだろう。「丁寧に、手抜きをせず作られたもの」。「それを使う側は長く大事に使う」。そんなイメージのものは製造業では既に殆ど無い。製造業と言えども「仕事」であり「ビジネス」であり「事業」であるから、製造にかかるお金よりも少しでも高い値段で作ったものが売れなければ、モノを作るその組織も人も食えなくなって、なくなる。つまり「製造業という事業の結果」は「お金」だけで評価される。評価が得られないものは淘汰されてなくなる。綺麗事の「モノ作り」は「趣味の世界」だ。趣味であれば、いくら赤字になっても、許容できる赤字であれば、別にいい。これもまた、許容できる赤字以上の赤が出れば、なくなるのだが。つまり「SDG's(持続可能なゴール)」と、古いイメージの「モノ作り」は相反する。

【リチウムイオン電池は「交換しない」】
たとえば、現代の「旬」のハイテク製造業である「スマートフォン」「スマートウォッチ」「パソコン」を見てみよう。まず、内部に搭載されるバッテリーは買った人が電池だけ買ってきて、なんの工具も使わずに交換はできない。交換したいときは、お金を払って「修理」として扱われる。これらの機器に使われている電池の寿命は大方、2年と言われている。そして、2年たったら、電池は当然容量が減り、いくら充電しても電気が貯まらなくなる。しかし、現代の一般消費者向けハイテク機器は電池の交換を考えていない。電池が使えなくなったら、機器ごと交換して新品にすることが大前提で作られている。逆に言えば、その機器は電池の寿命である2年持てばいいのだ。2年経ったら、新しくて、もっと機能・性能の高い製品が出ているだろう。そういうものに買い換えれば良い。その前提で、スマートフォンやPCはつくられたものだ。「内部を開けて、自分の人件費をかけて修理して、本来の寿命以上にその製品を使う」のは、仕事ではない。趣味である。

【プロフェッショナルは修理はできてもしない】
最近はスマホの分解動画をあちこちで見ることができる。「へぇー、ここがこうなっているんですね」「丁寧に作られていますね」「ここはダメですね」などと言う論評がそういう動画にはついている。そういう動画を見ると、両面テープや接着剤がたくさん使われているのを見るだろう。電池の交換には、修理者の1時間ほどの時間を使うだろう。その時間の人件費(給料)、交換の電池代、古い電池を安全に廃棄する産廃業者に払う廃棄代金、もしも壊して全部が動かなくなったときの「保険料」、修理者が使う部屋の家賃、電気代、などなど、細かいものをみんな足し合わせた以上の「修理代」が払われなければ、修理しても赤字が重なっていくだけだ。修理業者はどんどんなくなっていくだろう。いま、スマホなどのハイテク機器は、製造コストを極限まで切り詰めて、より高い性能をものを、より安い値段で提供するから、修理にかかるお金はかけたくない。修理していたら、赤字になるからだ。であれば、壊れたら、交換用の同じ製品を多めに作って持っていて、それを渡すほうがはるかに安い、ということになる。動かなくなった古いスマホは都市鉱山の鉱脈になるから、無駄もない。プロは修理はしないのが、今の消費者向けのハイテク製造業だ。プロは「お金」で全てを考えるからだ。

【「良い仕事をすればお客様はついてくる」か?】
丁寧で人件費のかかった「良い仕事」をすれば、お客様はついてくる、という。しかし、そういう仕事は赤字を作りやすい。したがって、経営者は「良い仕事」を「いかに採算が取れる中で行うか?」が重要なので、そのバランスがもっとも重要なことだ。製造業というのは、そういう仕事でもある。

【豊かな世の中から貧しい世の中へ】
なぜ、20年以上前の製造業が、今のような「使い捨てのものを作る製造業」になったのか?かつては「豊か」だったが、今は世界全部が「貧しく」なったからだ。「豊かだったから、無駄ができた」。今は「貧しくなったので無駄ができなくなった」ということだ。これを逆に考えて「昔は無駄をするから豊かになった」と言ってしまうのは、本末転倒だろう。原因と結果を逆にするにもほどがある。今の世の中にはこの「原因と結果を逆に考える」人が何事にも多いけれどね。

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