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日本に「良かった時代」は戻ってこないから

【なんと言っても「高度経済成長期」】
「昭和」という時代の後半は第二次世界大戦・太平洋戦争に日本がボロ負けして、その後の「復興の時期」だった。食べるものから着るものまで、足りるものは何一つ無かった時代だったから、なにを作っても、何を売っても「うまくいって当然」の時代だった。頭が悪くても、先が読めなくても、なにかすれば「当たった」と言っていい。どんなに勉強していなくても、なにかすればそれがうまくいった時代だった。多くの人が成功体験を持った。しかし、その多くは「時代がそういう時代だったから」に過ぎない。お金のあふれるプールに飛び込めば、赤ん坊でも多くのお金を手にしてプールから上がれるのは当然だ。多くの「成功者」は「その時代のその人が優れていたから成功した」のではない。その時代に生まれた、という「運」が良かったのだ。そして、第二次世界大戦という何もかもぶっ壊した後の「復興」の時代は、世界中で「需要」があったのだから、世界のどこにいても「供給」側に回れば「成功」なんて当たり前にそこらに転がっていた。

【昭和ノスタルジア】
「昭和の時代の成功者」の話は今でもネットで多く取り上げられる。そして、その「成功した人」を仰ぎ見て「今は日本にこういう人はいない」などと嘆く声も多い。「もしもあの人が今も生きていて日本を引っ張ってくれていたら」と「昔を懐かしむ」。間違えるな。その人は「その時代に運が良かった人」である。それだけだ。チラ見して通り過ぎて「ああいう人がいたんだなぁ」程度の話だ。今のあなたとはなんの関係もない人だ。ましてや、その人と同じことをあなたがしても、あなたは成功しない。

【豊かな日本の時代の人たちの「成功体験」はあてにならない】
そんな「高度経済成長期」を体験した、今の時代の「おじいちゃん」がなにかを語りだす。「ワシらの若い頃は」と言うマクラは流石に今は恥ずかしくて使わないとは思うが、内容は聞かないでもわかる。「昔はこんなに良かった」。酒の席とかで、なにを間違ったか聞く方に回ることになった年若い、今の仕事をしている人は「あぁ、そうですか。良かったですね」と言うしかない。で、今仕事をしている人で、少しはなにか言ってやろう、と言う人ははこう言う。「今の時代は違う。だから、あなたの良かった時代の成功体験は役に立たない」。当たり前だ。つまり、その人の成功体験が役に立たないのだから、その人が語ることは役に立たない。結論「あなたがここで語ることを私が聞くことは私の時間の無駄である」。だから「語らずにそこにいて今の私の仕事を手伝うか、それができなければそこから去れ」である。

【それでも日本でカネを持つのは高齢者】
それでも、今の日本で多くのカネを持って、それを社会に落とすのは、高度経済成長期でたんまり稼ぎがあって、余裕のある高齢者である。その人からお金をもらわないと生きていけないから、お金をもらうにあたって、こちらにその価値があることを知らせないと、自分にお金は降りてこない。これが、現代日本の若者の多くの「サバイバルの姿」である。一握りの「気の利いたやつ」は、高齢者に頼らなくても、自分で稼げるようになるはずだが、そういう「能力のある人」は少ない。が、そういう人は昔だって少なかった。昔は、そういう人は多く稼ぎ、そうでない多くの人は食っていくのに精一杯しか稼げなかったが、それでもみんながなんとかなった、というだけだ。日本は「世界の工場」と呼ばれ、なにかをしていれば食っていけて、稼ぐことができたし、平均以上になにかをしていれば、それが何であれ「人よりも稼げた」というだけだ。それは「成功体験」のように、本人には思えただろう。

【「成功体験」は時代や地域によって変わる】
たとえば、戦争と略奪ばかりの世の中であれば、極端な話「殺人」や「強盗」は、「成功体験」だったかも知れない。今の世の中で「殺人」」や「強盗」をすれば犯罪者として断罪され、世の中から見捨てられる。「敗残者」になる。

【これまでにない新しいことをするしかない】
つまり「日本の高齢者の成功体験」は「役に立たない」。それでうまくいく時代ではない。多少なりとも、部分的に役に立つことはあるかも知れないが、それで「何もかもうまくいく」ことは、まず無い。様々な技術も「アナログ」ではなく「デジタル」に変わったことにより、テクノロジーも全く様相が変わった。デジタル技術を持たない電子技術者は、今や、石器時代の石器を使って最新の創作イタリア料理を作ろうとするシェフのようなものだ。つまり、過去にあったものの多くは役に立たない。今、仕事をしている人は、過去を言う人はさっさと捨てて、自分で新しい世界を探しに行くことだ。だから「必ず成功する」ものではない。失敗したら違うやり方でやり直すのだ。それを認めるトップがいないと、新しいことは生まれない。今の高齢者の役割はそのための「無駄なカネ」を出すこと。そして「オレのことはいいからやってみな」と言うことだ。

【日本経済の再興を言うのであれば】
まだ残っている高度経済成長期の日本にある「原資(お金、技術、組織)」をなに(あるいは「誰に」)に使って、次の時代を作るか?が重要だ、と、私は思う。過去と同じことや過去と同じやり方をしても、失敗することが多いだろう、と思う。過去に戻っても、得るものはほとんどないからだ。

【「良かった時代」が戻らないのであれば、戻らずに「新しい時代を作ろう」】
日本の「良かった時代」は戻らないだろう。であれば、その時代に戻ろうとするのではなく、「全く新しい時代を作ろう」。過去は忘れて捨てて、新しいことを始めよう。それが今の日本でやるべきことなんじゃないか、と、思うのだ。良かった過去を持っているのであれば、それを抱えて墓場に行くよりも、新しいものを作る仕事のほうがいいに決まっている。だから、「良かった昔」は捨てて「新しいこれから」に賭け努力をすることだ、と、ぼくは思うんだけどね。



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