私の陸上人生
1月の箱根駅伝をもって学生における陸上人生が終わりました。
小学5年生から始めた12年間の陸上人生を振り返り、思い出としてnoteに書きたいと思います。
ぜひ、読んでください。
小学生 〜横浜Jr.時代〜
陸上を始めたのは小学5年生です。
きっかけとしては、兄が中学で陸上部に入部したので一緒に始めようと思い始めました。
この時は、短距離とか長距離とかいろんなものを経験させてもらいました。
ただひたすらに走ることを楽しみ、遊びに行ってる感覚でした。
横浜Jr.では、走る楽しさを教えていただいたからこそここまで競技を続けることができたと思っています。
100m14秒34 800m 2分40 1500m 5分10
中学 〜寺尾中学時代〜
中学入ってからは長距離を専門に競技をしていました。
競技力としては、1年生の時県大会に出場できたもののそこからは記録があまり伸びず同級生や後輩に負け続け悔しい思いがありました。
でも、競技以上に同級生や先輩、後輩と一緒に競技することがとても楽しかったです。
今でも、長距離で一緒に頑張ってきた友人と仲良くさせいてもらい、自分にとって欠かすことのできない仲間ができました。
これからもこのご縁を大切にしたいと思います。
100m 13秒6 200m 28秒 800m 2分10
1500m 4分34 3000m 9分59
駅伝 中学3年 市大会10位
県大会出場
中学3年の駅伝で男女ともに県大会に出場できたのは、一番の思い出です。
高校 〜新栄時代〜
高校では、競技力が1番伸びた時期となりました。
入学時、底辺でしたが顧問の先生のおかげでランナーとして成長でき最終学年ではチームのエースになることができました。
走るたびにベスト更新ばかりしていたので1番波に乗っていた時期だったと思います。
元々は、指定校推薦で箱根駅伝に出ている学校に入り駅伝部に入るのが目標でしたが結果が出たことで山梨学院大学に入部することができました。
高校生活は、とにかく陸上に集中し箱根駅伝が本格的に夢にすることができた時代でした。
1500 4分7秒 3k 8分40 5000 15分02
駅伝 1年 不出場
2年 県7位
3年 県11位
大学 〜山梨学院時代〜
大学は、4年間競技を続けられるかどうかわからない状態が3年まで続きました。
入部時、練習についていくことができないことが多いことに加えて、怪我をすることが多くありました。
1〜3年生までは、タイムが向上せず退部やマネージャー転向の可能性がずっとついて回っていました。
箱根駅伝に出る人達を間近でみてこんなにもレベルが違うのかと圧倒される毎日でした。
箱根駅伝には、手が届かなく夢が叶わなかったのかという悔しさはありましたが大学駅伝の世界に携わることができ、箱根駅伝に出る人達と関わることができたことはとても誇りに思ってます。
初めて親から離れて寮生活をすることで一歩大人になることができ人間として成長することができたと思います。4年間は、家族、友人、帰省した時に会ってくれる人達の優しい言葉に救われました。とても感謝しています。
3000m 8分39 5000m 14分34
10000m 30分34 ハーフマラソン 68分22
これからについて
これからは、走ることを楽しみ仕事と両立しながら大会とかに出れたらなと思ってます。
走ることは、好きなので走れる限りは走り続けたいと思います。
12年間の陸上人生は一生の財産です。
読んでくれた人、ありがとうございました😊
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