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過ぎたるは及ばざるがごとし5

今日はまた早くに目がさめてしまいました
まだ午前2時です
もう少し寝たいな~と思いましたが
トイレに立ち、水を飲むともう眠れません
どうせ暇な年金暮らし
眠たい時にねればいいという具合です

最近朝冷えますので窓を全て閉めて寝ます
すると少し暑かったようです
網戸にしようとカーテンを開けますと
家々の明かりも消え
そこには満天の星
しばらく見つめておりました


さて今日は
子供たちとわたしの関係についてお話ししようと思います
わたしたちたち姉妹と同じように
1つ違いでうまれた息子と娘たち

それまで妹を除いては
頑なにわたしたちを受け入れなかった父が
長男の顔がみたいと急に言い出したので
仕方なく連れて行きました

待ち望んでいた男の子が産まれたので
父はうれしくてしょうがなかったのです
膝の上に抱き 本当に長い間息子の顔を穏やかな眼差しで
見つめておりました
それが、家を出て後初めての里帰りとなりました

次の年娘が産まれますが
「お~そうか。よかったな~」と言っただけです

閣僚も政治家もほとんど戦後生まれになったはずですが
日本にはまだ男女差別というものが元として残っているようです
海外向けに大臣には女性を入れましたが
副大臣 政務官はすべて男性でしたね

すみません話がそれましたね
わたしは自分の子供たちが
金銭的にも、精神的にも自立した人間を目指すべく努力したつもりでした

まずは幼稚園の年長さんの時
幼稚園にピアノの先生と器械体操の先生が来ていたので
どちらがいいかと息子に尋ねます
いまになって考えますと、
どちらもしないという選択もあったのです
が、息子は迷いなくピアノが良いと言ったのです

別に練習なんかしなく良かったのですが
月謝がかかるので
毎日練習させました。息子も練習が嫌だとは言いませんでした
次の年からは娘も一緒にランクアップして
ピアノ教室に通い始めました
そして中古のピアノを買いました

ピアノのある家に憧れていたのはわたしです
空き家になった平屋の家を借りていたのですが
狭い部屋の隅にピアノを置きました

わたしが高校生の時でございます
友達が3人出来ました
1人は最初の猫を譲り受けたハルちゃんです
ひとりは隣町から電車で通ってのりちゃんです
おなじのりだったので 
そのころわたしはテンちゃんと呼ばれておりました
もう1人は海運業を営むおうちのヨウちゃんです
夏休みにみんなのおうちに行くことになりました

わたしはその時一瞬躊躇しました
そうです
あの小屋のような家に招待するのかと
案の定、みなさん立派なおうちで
なんと!
どの家にもピアノがあったのです
でもコロロが見たいという3人を拒めず来てもらいました
が、他の家のように話が盛り上がることなく
コロロの様子を見て帰って行きました

子供に選ばせたと言いながら
おそらくわたしの意思が大きく反映していたのでしょう

子供たちの反撃が始まったのは
小学校5年生の時からです
息子はその頃流行りだったサッカーがしたいと
娘はわたし書道が習ってみたいといい出し
それぞれピアノを辞めました
ピアノだけがぽつんと家に残りました

また小学校6年生の夏休み読書感想文の宿題をしているときに
「書けたらちょっと見せて」
と言いますと、
「おかんの手直しはいらん。おれは自分で書ける」
息子が大きな声で言い放ちました
するとその様子を見ていた娘が言いました
「お母さんが、感想文に手直してることみんな知ってるんよ」
「べつにいいじゃん。夏休みの宿題なんて親がするもんよ」
「毎年、毎年2人そろって朝礼で名前呼ばれるんよ。
恥ずかしいやろ、お前の母ちゃんやりすぎやろってみんなに笑われたんよ」

考えたこともない言葉でした
でもわたしはその時はまだ気づいていませんでした
でも、子供の宿題に手を出すのは辞めました

中学校に入ってからはふたりを塾にやり
わたしもパートに出ました
塾代も馬鹿になりません
塾はふたりとも好きだったようです
自分も英語の塾に通わせてもらっていたら
また違ったかななど思いました

そして息子はサッカーを高校3年の県予選まで続け
娘は習字を高校2年生まで続けました

時が経ち
2人は就職を活動をしていました
ちょうど氷河期も終わったころで2人とも大手の会社に内定が決まりました
その時、口には出しませんが
「どうよ、うちの子は誰が聞いても分かるか会社に入れた。
これで何の心配もないと」
そう思った途端、母のあの言葉がよぎったのです
わたしは母と同じだったとのだと気づいたのです
自分のうつつとしたものを子供で晴らそうとしていただけなのです

そして自立した子供たちは夏と正月に数日会う人になりました
孫たちがもっと大きくなればそれも出来ないかもしれません
2人とも家に帰っても、朝ご飯と晩御飯を食べるだけで
昼間はどこかにでかけてゆきます

何度も記事に出てきた娘は本当に性格がきついのです
働きながら子供をそだてるのは大変なんでしょう

息子はほとんどしゃべりません
空いた時間は本ばかり読んでいます
ファイナルファンタジーはやりすぎて飽きたそうです
仕事柄、人に合う機会が増えたので
知識は豊富なほうが良いそうです

息子が65歳になったら
わたしたちは90歳です
定年が伸びて70歳になると
わたしたちは95歳です

だから子供たちには期待していません
これが過ぎたるは及ばざりしの結論です

夫には両親がいなかった
だから悪い見本もなかったのでしょう

こういう風に
物事にはいい面と悪い面ががあります
たとえばわたしが構音障害でなかたっら
夫と出会うことは無かったでしょう
今のじぶんでいいのだと自己肯定できなかったかもしれません

もうこの先は何も起こらないと信じて
過ぎたるは及ばざるが如しを〆させていただきます
これでわたしの心の終活も終わったと思います
読んでくださった皆様
長々とわたくしごとにつきあっていただき
ここより感謝申し上げます<(_ _)>

前回に引きつづき
青春ど真ん中
山口百恵さんのいい日旅立ちをお聞きください



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