さよなら贅沢音楽鑑賞

物騒というかネガティブなタイトルな気もするが、内容に関してそんなことはない。自分自身の中で踏ん切りがついたため、振り返りとして書き記しておこうと思う。

10年以上入り浸ってきた「好きな音楽を聴く」という1人での行為を辞めることにした。目標があってでのことではない。ある日突然、2つの感情が押し寄せ、半ば強引に決断に至ったのだ。

  1. 金銭面での不安

  2. 1人で楽しむことへの疑問

断捨離にハマってから、趣味に関するモノを手放すことはよくあったが、趣味そのものを自分自身から避けるようにしているのは、多分初めてだと思う。暇さえあれば好きなアーティストの音楽を聴いていた。数年前に鬱を患い、何事にも前向きな気持ちを向けられなかった時でさえ音楽は聴いていたから、本当にどんな時も好きだった。

大前提として、これはあくまで個人の考えであって、皆がこうあるべきだという思想は微塵もない。一例としてこの例に辿り着いただけである。

まず突如現れた不安と疑問について、掘り下げて見る。


「好き」を理由に膨らむ出費


便利なもので、正規の方法で音楽を聴く手段はいくらでもある。CDを買ったり配信サービスを通じて有料でDLしたりするだけでなく、合法的に無料で聴ける方法だって存在する。サブスクリプションサービスは、広告さえ気にしなければ料金が発生せずに聴けるし、動画サイトではMVも見放題なのだから、出費なしで音楽を楽しめる。

しかし「好き」になってしまうと、どうしてもそれだけでは満足できない性分が自分自身にはあるようで、モノや体験に対して以下のような欲求が芽生えてくる。

  • 音源をCDでも揃えたい

  • 映像作品が買いたい

  • ファンクラブに入りたい

  • ライブに行きたい

  • グッズが買いたい

今浮かんだだけでもこれくらい。発表する音源に聴き惚れ、アーティスト自身に対して胸を張って「好き」という気持ちがある中、上の欲求を我慢するのはなかなか難しい。気持ちが昂り、思いのほか財布の紐が緩んでしまったことは、一度や二度ではない。

完全に個人的な話だが、生活する上での金銭状況は決して好ましくない。私生活でのこともあり、この数年でかなり悪くなった。将来に不安がある中で音楽と向き合うことに、なんだか後ろめたさが出てきたというのが、きっかけの1つだ。

「◯◯を持っていなければファンとは言えない」なんてルールは存在しないし、適度な距離感や熱量で接することができれば、それが理想的だろう。我慢が必要ならいっそ全て断つという決断をとってしまっているのは、あまりにも乱暴かもしれない。だが、適度な線引きを示すことがどうにも出来ない。

余談だが、毎回かかさず見(聴い)ていたYouTuberの動画やお笑い芸人のラジオも、突然スパッとチェックしなくなった。理由は様々だが基本は音楽と同じで、最初は無料で楽しめるコンテンツであったとしても、結局タダでは終わらないからだ。

音楽を励みに私生活の改善へ努力をするなんて生き方もあるだろうが、何だか音楽に対する熱がぼんやりとし始めた今となっては厳しそうだ。


独りよがり全開の趣味


上に挙げたきっかけがぼんやりと見え隠れするようになり、そのまま続いて浮かんできた罪悪感がこれだ。

こんな贅沢なものを、独りで楽しんで許されるのか?

生きていて、親友やパートナーと巡り合うことは奇跡以外の何物でもないが、「好き」を分かち合える相手が現れることも、また同様である。

自発的に出会ったアーティストの中で、△△の新曲が最高だとか、××のセトリがやばかったとか、そんなことで誰かと会話が盛り上がったことは一度たりともないと思う。しかし、それを相手に対して強要することは価値観の押し付けに他ならない。逆の立場になって、相手の「好き」を聞くのは大歓迎だが、こちらから話すことは苦手だ。過去にそんなことを書いたようなと思ったら、SNSに関して書いた時だった。

それこそSNSで気の合う相手を探すことだって可能だろう。だが、それありきで巡り合うことには抵抗がある。アーティストの公式アカウントをフォローしていると、お仲間が沢山いらっしゃる(ように見える)ファンの方々が目に入ることがあるが、

  • ファン代表かのように声が大きい癇に障る存在

  • 肖像権を無視した投稿の乱立

  • ファンの総称を非公式で勝手に命名

こういった光景をアーティスト問わず目にしてきたので、輪に入ることは何が何でも避けたかった。無論、ユーザの全てが上のどれかに当てはまるわけではないことは承知している。しかしながら、いちいち選別しながら付き合うことは疲れるし、そもそも相手に対して失礼に思えてしまった。

誰かと分かち合えるわけでもない。音楽以外の趣味が別に嫌というわけでもない。だったら、このままシェアしやすい趣味にシフトした方が精神衛生上良いのではないか。そう思い始めたのが、2つ目のきっかけだ。

ここでもYouTuberや芸人ラジオの話をしておくと、末期には音楽と違って作業感が強くなっていた。新しい回が更新されているのに一つ前の回をまだ「消化」していないといって倍速視聴に手が伸びた時には、もう潮時だと思った。便利な機能であることは間違いないし、利用することは各々の自由だ。しかし、心から「面白い」という思いから追いかけ始めたのに、「早く終わらせないと」と使命感のようなものに駆り立てられている視線の向け方は、自分自身にそぐわなかった。明確にプラスになることがあるかも分からない中で「やらなきゃ」と向き合うことが趣味とは、とても思えなくなった。

唯一無二の「分かち合い」


ライブ会場に行けば、1人で来ている人も沢山いる。けれど、目に入るのはどうしても誰かと来ている人達だ。客を見に来ているんじゃなくてアーティストを見に来ているんだから、周りを見渡す必要なんてないけれど、どうしても意識してしまう。

昨年はコロナが比較的落ち着いたこともあり、様々なイベントに参加できた。1人で音楽のライブにも行ったけれど、誰かしらと全く異なる催しにも行けたから分かる。やはり、共有できる相手がいるというのは、何ものにも代えがたい。

ライブ帰りのあのブルーな気持ち。あれは余韻に浸りながら、終わってしまった寂しさを噛み締めていたのではない。誰とも盛り上がれないことに勝手に寂しがっていたのだ。1万円以上払って2,3時間熱狂したつもりでも、相手がいなければ満足できない体質だったのだと思い知った。

趣味がひとつしかないわけではない。そして他の趣味の方が、周りとも共通の話題として話しやすい。相手と同じことで盛り上がれた時の喜びが、何だか自分自身には特別に思える。

ここまで気持ちが整理できたら、行動に移った。

実践とその後


自分自身しか楽しめない音楽に耳を傾けないのは大前提として、1人でしか楽しめないモノに関するものは全て手放した。物理的に断とうと考えたからだ。といっても、断捨離にハマってからある程度のものは手放していたから、今回で手放したモノは最後まで残った本当のお気に入り達だ。

  • もう一度見たくなって買い直したライブ映像の円盤

  • ライブで購入した安めのグッズ(タオルやTシャツ)

  • 奮発した比較的高めのグッズ(パーカーやスカジャン)

  • ブランドとコラボしたアパレルグッズ

  • クリアファイルやポストカードといった特典

  • 何百回と見返した録画物

録画物以外は全てフリマアプリで手放せた。そのお金は貯金と新しい趣味に充てようと思う。大層な言い方をすれば、新しい自分自身になったことで生まれたお金だ。
中には、欲しい欲しいと数年願い、ようやく買えた物もあった。〇ぬまで手放すことはない、一緒に墓に入れてほしいとまで考えていたけれど、案外手放せられるものだ。最初からその程度の気持ちだったのか、状況と心情により傾いてしまったのか。今はもう分からない。

iTunesのライブラリからも98%くらい楽曲が消えたが、元のデータも消すべきだろうか。これも消去してようやく卒業な気もするが、まだ出来ていない。
今更ではあるが、音楽やアーティストが嫌いになったわけでは決してない。しかし、そこに熱量やコスパといった、今まで向けたことのなかった視線の向け方をしたことで、今回の決断と行動に至った。

寂しさがないと言ったら嘘になる。それは音楽に対してではなく、こんなにも簡単にやめられた自分自身に対してだ。音楽のことばかり考えていて、取り上げたら何も残らないと思い込んでいたから、今もこうして生きていることに驚きだ。
今でも突然頭の中で何かしらの楽曲がふと流れることがある。それでも、以前に比べたら少しずつ減ってきた。完全に断ち切れる日は、そう遠くないはず。

最後になるが、音楽に限らず、夢中になれる趣味があるなら絶対に続けるべきだと思う。嫌なことを忘れられたり、心を落ち着けられたり、生きがいにもなるようなことを持っているなら誇るべきだし、どんな趣味か、1人か大勢か関係なしに打ち込める強さは、大切にした方が良い。

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