いえすたでい

感情だらだら垂れ流し。

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最近の記事

『氷室京介』という存在

 どれだけ時間が流れても、昨日のことより明確に思い出せる日があると思う。私にはある。2016年5月23日。初めて1人で行った東京。あの日はとても暑かった。そしてその夜の東京ドームは、自分自身が音楽と向きってきた中で、最も熱かった瞬間だ。『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』の最終公演。氷室京介のライブ活動無期限休止前ラストライブ。私はその場にいた。はっきりと目にも記憶にも刻みつけたが、あれは本当に現実だったのかと疑ってしまうほど、夢のような空間だった。 音楽知

    • BOØWYというバンドに思うこと

      1988年4月4・5日。あるロックバンドが、東京ドームで最後のステージを飾った。万来の拍手を受けながら。 BOØWY。その圧倒的なサウンドで日本中を虜にし、まだ今ほどバンドというものが市民権を得ていなかった中、チャートへのランクインも果たす。 ミリオンセラーにチャート1位と、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進する彼らがとった選択は、解散であった。結成から6年経った1987年。ツアーファイナルを前に、ファンの間ではBOØWYの活動が終わるのではないかという噂が出回っていた。SNSどころ

      • フィクション恐怖症?

        小説や漫画、映画やドラマにあまり手が伸びない。びっくりしたり、怖い思いをしたくないから。後味が悪い思いをしたくないから。 そんな気持ちで娯楽と向き合ってきた。触れたものと言ったら音楽とテレビゲームくらい。ジャンルに関わらず、クリエイター達が生み出した作品に触れることは、決して多くない方だと思う。小説やドラマに夢中になったことはほぼないし、映画も1年で5本見たら多い方だと思う。昔の方が楽しめたというわけではない。作品に触れないのは今も昔も同じだから、そもそも比較しよう

        • やめては始める『Twitter』

          はじめに 多分、6回。Twitterのアカウントを消し、時間を置いて新しくまた作る。この行為を多分、6回くらいしてる。炎上してしまって、名前を変えて活動しているのではない。そもそも創作活動などしていなければ、ツイートが何千何万とリツイートされたことなどもない。それなのに、突然距離を置いて離れたくなる。タイムラインに浮上しなくなるだけじゃ気が済まず、アカウントごと削除してしまう衝動に駆られる。結局また作るのだけど。 なぜやめるのか このパターンに陥る原因はだいたい2つに決ま

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          BOØWYとクリスマスイブ

          1987年12月24日。BOØWYが解散した。6枚目のアルバム『PSYCHOPATH』を引っさげた『ROCK'N ROLL REVIEW DR.FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』のツアーファイナルとなった、渋谷公会堂(現:LINE CUBE SHIBUYA)。そのステージのラストには、『解散』という明確なワードは口にしていないにせよ、集まったファンへ涙ぐみながら意思を伝える氷室京介の姿があった。これは、映像作品にもしっかり

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          久しぶりのネクタイ

          とある事情から、スーツを着る必要が生じた。仕事でスーツを着用することはほとんどなかったし、冠婚葬祭に出席する機会もなかった。最後に袖を通したのはいつか思い出せないほど久しい。 袖を通すのは別に良かった。だが「明日は久しぶりのスーツだな」などとぼんやり考えていた日曜の夜に、非常に些細な不安が頭をよぎった。 「ネクタイって結べるよね?」 高校生の時は3年間、毎朝結んで登校していた。何となく「おしゃれ」なのではないかと考え、下心丸出しで私服に取り入れたこともあった。「おしゃれ

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