久しぶりのネクタイ

とある事情から、スーツを着る必要が生じた。仕事でスーツを着用することはほとんどなかったし、冠婚葬祭に出席する機会もなかった。最後に袖を通したのはいつか思い出せないほど久しい。

袖を通すのは別に良かった。だが「明日は久しぶりのスーツだな」などとぼんやり考えていた日曜の夜に、非常に些細な不安が頭をよぎった。

「ネクタイって結べるよね?」

高校生の時は3年間、毎朝結んで登校していた。何となく「おしゃれ」なのではないかと考え、下心丸出しで私服に取り入れたこともあった。「おしゃれ」と褒められることはなかった。声をかけられたと言ったら、激しめのジャンルが好きな初対面のバンドマンに「SiM好きなんですか!?」と興奮気味の大声で質問されたくらい。

そんな、心配と呼ぶには烏滸がましい、疑問と呼ぶほど大それたものでもない思いが頭の隅を右往左往している中、溺愛しているテレビアニメを久しぶりに一気見した余韻からか、いつの間に眠りについた。

今、何の気無しに身につけているネクタイについて思いを巡らせていた昨夜の私はなんだったのだとふと思ったのは、昼食を済ませて眠気に襲われた時だった。

今朝というもの、いつものように目を覚まし、いつものようにゴミを出し、今日も冷えるななどと白いため息をつきながら家に戻り、「寒い」という感情以外は特に脳裏に浮かばず無意識のままスーツを着終えていた。

杞憂に終わった、なんて大層な締めくくりをしていいのだろうか。たかだかネクタイである。ここまで文字を打ち込んでるスマートフォンを使えば、結び方など容易に調べることができる。それでも朝、寒気に身体を震わせていた私は、「ネクタイ、結べるかな。大丈夫かな。でもいざとなったら、ググればいいし…!」などと代替策を講じた覚えはない。

昔から、必要以上に考えてしまう性格だ。読書は苦手だが、藁にもすがる思いで自己啓発系の書籍をいくつか読んだりしたこともある。記されていたことはごもっともだし、このように考えればいいのかと目から鱗が落ちた経験もあった。だが、生きていて壁を目の前にした場面は数えきれないほどあっても、本からインプットしたアイディアを活かせたことは一度もなかったと思う。結局、前向きな精神を構築できたのは、ページをめくっていた時だけだった。

そんな、ことあるごとにああでもないこうでもないと慌てふためいている私だが、寝ぼけたまま締めた久しぶりのネクタイから学べることがあった。先のことを考えるというのは決して悪いことではないが、無心で臨んで功を奏す場合だってある。身をもってこんな経験をしたのは初めてだ。


昨日見たテレビアニメをまた見返したくなったので、ここまでにしようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?