いつまでたっても写真家になれないママの人生
これは、二児のママとして子育てに奮闘しながらも、自分らしく生きようとする中年フォトグラファーの話です。
はじまりは結婚
一生結婚できそうにないから、「出家しよう」と決めたのは36歳のときだ。
当時のわたしは、自分の人生をあきらめようとしていた。地方の田舎にある実家は、鎌倉時代から江戸時代まで続いた寺だった。寺は、檀家が減って滅びたと聞いた。
明治以降は農家として営み、近年ではサラリーマンを定年退職した父が継いでいる。
先祖代々の墓守として、わたしは誕生時から祖父に「跡継ぎ」と呼ばれた。わたしは祖父の長男の長女で、そのあと生まれたのは妹だけ。よって、わたしの使命は、婿をとることだった。
そんな話を平成時代にされてもなぁ、と思っていた。亡き祖父と親の望みにこたえるために、何人か婿になってくれそうな人をみつけて口説いてみたけど、結婚には至らなかった。
わたしは逃げるように東京の家をかりて、ひっそりと出家の準備をしていた。いっそ、俗世から離れようと思った。もうアラフォー。さみしいばかりの未来を憂いて、毎夜、かなりのお酒を飲んでいた。
ある夜、飲んだ帰りの駅で財布がないことに気づいた。酩酊していて、落としたのか、盗られたのかもわからなかった。ただ、気づくとカバンの口が開いていて、財布がなかった。
いきなり一文無しになって、笑うしかなかった。笑いながら、フェイスブックに「財布落とした←イマココ」と書き込んで、ふて寝した。
目を覚まし、夢ではなかったことを確認した明け方、派出所に出頭して、紛失届けを出した。うなだれてスマホを見ると、いくつかの応援コメントと、「今から、最寄り駅までお金を持っていく」とメッセージを送ってくる人がいた。一年前のイベントで、一度会ったきりの人だった。フェイスブックだけ繋がっていた。
その人が、現在のわたしの夫である。
当時の夫は、海外で財布を落として困った自分の経験を思い出し、「いますぐお金を持って、わたしの元へ行かなければならない」という思いに駆られたという。田舎から出てきたわたしにとって、東京は、たしかに海外みたいなものだ。知り合いは少ない。
夫の方は、当時付き合っていた彼女に振られたばかりで、眠れずに早朝にスマホを見ていたら、わたしの「財布落とした←イマココ」が、トップで流れてきたらしい。
かくして、アラフォーの、さみしい独身男女が、財布を落として再会したのだった。
そりゃ結婚するよね。
いつか娘たちに「ママは、どうしてパパと結婚したの?」と聞かれたら「どうかしてた」と、答えようと思っている。
数日後、財布は見つかった。現金だけぬかれて捨てられていたのを、町の清掃員の方が拾ってくださっていた。
警察署まで取りに行くと、「少しだけ現金が残ってました」と渡された。確認すると、なけなしの7万円は無くなっていたけど、カード類と、5円玉が入っていた。
その5円玉は、あるお店で「5円(ご縁)がありますように」と、願をかけていただいたものだった。
わたしには、「ご縁」だけが残された。
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