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コーヒーを飲んでいる時が一番幸せ

 昨日雨が降っていた。今日は晴れている。

どちらの天気も僕は好きなので、コース料理のようで非常に嬉しい。

雨の日は家の中で読書や曲作りなどをしながらひたすら雨音を楽しみ、晴れた日はベランダから陽の光を思い切り浴びつつ、外を眺めたり散歩をしたり、「晴れ」がくれた恩恵を満喫する。

自然に対して抗う事をほぼしなくなった。というより、天候に対して余計な解釈をしなくなったというか。
そのうち天候だけではなく、もっと幅を拡げた「森羅万象あらゆる出来事」に対して、無駄な抵抗をする事をいつからか手放した。

その、気持ちのスイッチングに大きな一助を果たしてくれるのが、僕にとっての「コーヒー」である。

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 淹れ立ての熱いコーヒーを飲んでいると、いろんな感情が自分の中でフラットに分解され、俯瞰的に、穏やかに物事を見つめる事ができる。
多少ささくれ立った気持ちも、コーヒーの香りが部屋中に漂うだけで、とたんに沈静化する。

いろんな事を "諦める" 事ができる。

「諦める」というとネガティブに捉える人もいるかも知れないが、元来「諦める」とは、仏教用語では「明らかに見る」という意味もあり、僕の場合は "執着を手放す" など、前向きな意味を持ってこの言葉を採用している。

執着は、無駄な不平不満、他者との比較や嫉妬などを生み、縛られれば縛られるほど、妄想とともに気持ちが「ここに在らず」な状態となる。

多くの執着は、自分の中で知らず知らず出来た「誤った前提」がきっかけとして生まれる事が多い。育てるつもりのない根に、枝葉がどんどん茂っていくような感覚で、放っておくといつの間にか立派な "固定観念" として自分の感情の重要な幹となってしまっている事もある。

"諦める" 事で、もともと自分に設定していた「前提」自体がリセットされ、固定観念を切り崩す事で、実は自分が悩む原因は何もなかった、という発見に至る。結果、隣の芝生が無意味に青く見える錯覚に陥る事なく、自分の芝生をきちんと公平な目で見る力を鍛える事ができるのだ。

これらのリセット力を助長してくれるのが、僕にとってのコーヒーである。

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 物事は起きる時は起きる。「意味を求めない」「無駄な抵抗をしない」と決めた中、自分がその中でできる限りの事をやる。

結果、適切に運を天に任せたり、果報を寝て待ったりできる。

コーヒーは僕にとって様々な色眼鏡を取っ払ってくれる。
コーヒーを飲んでいる時が一番幸せだ。

今日はこんなところで。

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