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「ぜひ」を使うことの是非

ぜひ食べてみてください。
ぜひ試してみてください。
ぜひ使ってみてください。

この「ぜひ」という言葉をSNSで見かけると、僕は敏感に反応してしまう。「ぜひ」の一言を見たり聞いたりするだけで、反射的に脳が拒絶してしまう。

「あ、宣伝だな」と。



僕たちは、いつから宣伝が嫌いになってしまったんだろう。

たとえばアメ横に行ったとする。

「食べごろの新鮮なカニだよ」「今ならお安くしとくよ」

そんな言葉が飛び交っていて、はじめは嬉しい気持ちになる。横丁の活気に圧倒されて「ちょっと買ってみようかな」と、踵がすこし浮き上がる。

でも、そんな声をずっと聞きながら横丁の端から端まで歩いていると、だんだん心に壁ができてくる。

「いいのがあるよ」「今なら安くするよ」と売り込んでくるすべてのお店で買うわけにはいかないからだ。誘いの言葉のほとんどは気持ち半分で受け流していかないと、心も財布ももたなくなる。

だから「そうそう誘いには乗らないぞ」と、心にブレーキをかける心理がはたらく。防衛本能と言っていいかもしれない。

SNSも、アメ横に似たようなところがある。

笑えるネタや義憤にかられるニュース、匿名のだれかがお昼に食べたもの、などなどいろんなノイズで活気に満ちていて楽しいが、その中に数多の「ぜひ」がはびこっている。

ぜひ食べてみてください。
ぜひ試してみてください。
ぜひ使ってみてください。

企業アカウントによる宣伝が、これでもか、これでもか、と僕たちを槍で突いてくる。

たしかにSNSは現代が生み出した最強の口コミツールだ。事業者が宣伝に利用するのに都合がいい。うまく波に乗れば、あとは放っておくだけで情報を行き渡らせてくれたりもする。合理的かつ効率的で、ビジネスの発展に役立てない手はない。

でも、それを受ける側の人々は「ぜひ」に辟易している。そんなに誰もかれもが宣伝してくれるなよと、気持ち半分で受け流している。そうそう買うわけにはいかないぞと、心に壁をつくっている。



などと、受け手目線で「ぜひ」の是非を問うているけれど、当の僕は事業者であり、自分たちでつくった商品を「ぜひ」と売り込む立場でもある。

だから「ぜひ」という言葉を使っては人の心に響かないことが頭では分かっている。でも、ついつい忘れて使ってしまう。ツイートしたあとで「しまった」と後悔する。

難しいのは「ぜひ」に代わる言葉が見つかっていないこと。「ぜひ」のような一目で宣伝臭のする言葉に代わる、温かく受け入れられるような魔法の言葉があればいいのだけれど、なかなか見つけられないでいる。

どうにか「ぜひ」を使わずに、言葉のレトリックでオススメをすることもある。いわゆる「匂わせ」行為と言えるのかもしれない。でも「ぜひ」とは言ってないけれど、内容的にはやっぱり宣伝なわけで、そういうものを人は敏感にかぎ分ける。

さて、困った。一体どうすればいいのだろう。オススメしている商品には自信があるのだけれど、その過信が相手に対する重荷になって、胸にすとんと届けられていない。この状況を打破するにはどうするべきか。



ひとつ気をつけているのは「自分だけが得をしないこと」。

宣伝が嫌われる根本的な理由のひとつに「相手しか得しない」がある。対価を払ってほしいものを手に入れるのだから、買う側の自分も得しているはずなのだけど、なぜか甘言に乗せられた気分とあいまって「自分だけが損している」気になってしまう。

でも宣伝する人が「たしかにわたしは得します。でもその代わりに、あなたもこんなに得しますよ」という正直な姿勢を見せれば、受け手はどこか救われるところがある。

その「得」は対価で得られるものじゃなくてもいい。単純にツイートがおもしろいとか、参考になる情報が発信されているだとか、リンク先のコンテンツが読み物としておもしろいだとか。

そういう姿勢の企業アカウントなら、たとえ「ぜひ」と書いても、そこまで嫌な気分にはならないはずだ。



この問題、ひとりの受け手として、あるいは何かをオススメする側として、どう思われますか。ぜひ考えてみてください。あ、この「ぜひ」は宣伝じゃないよ。


このnoteは下記のツイートをふくらませて書きました。


ありがとうございます。励みになります。