マダムC

【書評】150年前のフィンランドでフェミニズムを推進した劇作家ミンナ・カントゥの半生を史実と美しい文体と想像力で紡いだ物語(セルボ貴子)

タイトル(原語) Rouva C
タイトル(仮)   マダムC 
著者名(原語)   Minna Rytisalo
著者名(仮)    ミンナ・リュティサロ
言語        フィンランド語 
発表年       2018年9月 
ページ数      367
出版社      Gummerus Kustannus       

 本書は、ミンナ・カントゥ生誕175周年となる2019年にあわせて前年秋に出版された作品である。ミンナ・カントゥは、フィンランド最初のフェミニストとして、また劇作家としても有名だ。1844年生まれ(作曲家シベリウスより23年前に生まれています)であることから、幼少期や若い頃についてはそれほど知られていない。作者ミンナ・リュティサロはフィンランド北部に住む高校の国語教師で、心に秘めていた作家としての夢を20年経ってやっと実現した。本書は彼女の2作目にあたり、さすが国語教師らしく、美しい文体と言葉の選び方は既に定評がある。「一発屋」でなくこれからも存在感ある小説家となるだろうと期待も高い。

 ミンナ・カントゥについての史実は生年、場所、家族構成などを作品の骨格として踏襲しながら、実際はどういう人生を送ったのかというストーリーを豊かな想像力で肉付けし、紡いでいったのが本書である。従って読者は評伝としてではなく、あくまで純粋に読み物として当時に思いを馳せ楽しむのが良いだろう。

 もともとカントゥは労働者階級の両親の元に生まれたが、父親は仕事の腕を認められて、中南部の工業都市タンペレにて、工場の雇い人という立場から東部のもう少し小さな町クオピオに送られ、そこで新たな拠点を立ち上げ紡績業を営むようになった。したがって家族はおおむね生活に困ってはいなかったようだ。家族の間柄も近しいものだったことが伺える。また秀才である娘にしっかり教養をつけたい、という先見の明も父親にはあった。(その後はいい所に縁づいてもらいたいという、父親らしい考えがあったようだ)そんな中、フィンランドで初のフィンランド語国語教員養成課程が設立された。場所は中部地方のユバスキュラ大学で、合格した若者が集められた。この背景には、それまでの高等教育はスウェーデン語で受けていた歴史的な事情がある。フィンランド語教育の父と呼ばれるシグナエウス教授の一声によるものだった。全ての国民に、貧富や階級の差なく教育を提供しようという機運が高まって来ていたのだ。そこへ全国から初めて、女子学生も含めて若者たちが集い、学び、悩み、成長していく。ミンナは同じコースの自然科学の講師であったフェルディナンド・カントゥと恋に落ち、二人は結婚する。夫はこの時代にしては非常に珍しく、ミンナを励まし、彼女の才能と声が社会に届くよう支え続けた。150年前にこんな夫がいたのかと思うほど、思いやりにあふれ、できた人物であったようだ。幸せな家庭生活、子宝にも恵まれ、7人の子どもをもうけた二人のほほえましいやりとりの様子があちこちに描かれている。しかしながら、幸せ過ぎると人間は刺激を求めてしまうのか、ミンナは退屈さも感じたようだ。平和な家庭におさまるだけでなく、自分も何かを成し遂げたいという思いが彼女の心の中で大きくなっていった。使用人の手を借りつつ子育てをしながらも、夫が編集者をしていた地方新聞に、貧困にあえぐ人々の人権や女性運動について記事を書いたり、短編小説を執筆したりし始める。しかし1879年、35歳の若さでミンナは未亡人となってしまうが、この辛い時期を乗り越え、夫の死後数か月にしてミンナは初めて演劇の脚本を書き上げる。

 ミンナ・カントゥについては代表作『労働者の妻』など演劇や小説などに彼女の女性人権運動についての主張が色濃く反映されている。従ってそういう面をこの作品にも期待した読者はもっと彼女のやり遂げた事、つまり女性の地位向上を獲得していくという今でさえ容易ではない事への最初の道筋をつけた人物として、その葛藤などを読みたかっただろうし、そのあたりがしっかり書きこまれていない点はおそらく失望するだろう。(ただしフィンランド人読者の場合。日本ではあまり知られていない為)実際これから名が知られていくという段階でこの物語は一つの事件があり、そこで終わる。その内容についてはここで言及しないが、読者の想像にその後の彼女の人生が委ねられているようだ。もちろん、いつ、どんな作品を発表したかは今でも作品に親しむことはできるけれど、リュティサロの描くミンナとして、実際の活躍の裏側を読んでみたかったと私も思った。

 物語の最後に、再度「本書はフィクションであり、あくまで作者がつくりあげたミンナ像である」と念押しされている。ミンナ・カントゥについては、前述のように史実以外の生活についてほぼ知られていなかったし、本書では、当時の中南部工業都市であるタンペレ、ロシアの国境近いクオピオや中部ユバスキュラの時代考証が良くなされていて、日常生活のちょっとした場面やしぐさ、言葉の端々に当時の様子が読み取れる。大学のコースで隣り合った青年とは、男女が初対面の際は第三者が紹介しなくては直接会話をするのははしたないとされていた当時の常識も描かれ面白い。これらディテールが非常にうまく配置され、読みながらその時代に思いを馳せた。

 ミンナの生きた時代から150年前後、日本では #MeToo#KuToo があり、日本でも女性がだんだん声を上げてきているが、まだ雰囲気的に突き抜けられない空気が感じられる。何も気にせず、性別に限らず自分が自分らしくあれる時代は自分が生きているうちに日本に来るのかと読了後、しみじみと考える。
(Takako Servo)

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来週水曜日は、羽根由さんがスウェーデンのベストセラー・リストを紹介します。どうぞお楽しみに!


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