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【50代の大学生日記 第33話】おじさんの文芸の悩み

 通信制芸術大学文芸コース3年生在籍中57歳のおっさんです。昨年度3年生編入で入学しましたが、まだ卒業研究をやってないので、きっと2回目の3年生なんだと思います。
 あっ、今回は写真をアップするようなネタじゃないので、例によって、今日(11月9日)朝の散歩をしたときに撮った『今日の嵐山』の写真をお楽しみください。紅葉のベストシーズンまで、もう一息ですが、平日とは思えぬ人出でした。

保津川の屋形船

 私の大学では「来年は卒業しよう!」と思ったらというか、「来年には卒業できるぐらい単位が取れた!」と思ったら、3年生から卒業制作に取り掛かり、2年間かけて作品を完成させることになっています。文芸コースの場合は、文学研究作家研究をしてもよいのですが、文学部ではなく「芸術大学芸術学部」なので創作に軸足を置いている人が多く、特に卒業制作として小説を執筆する人が多いです。私もその一人で、今年度から小説を書いているのですが、先生の鋭い講評を反映しながら深く考えて書いてみると、こうやってNoteで好きなことを書いているときには全く感じなかった悩みがいろいろとわいてくるのです。

嵐山吉兆 なぜここだけ早くも紅葉している?

 まず困ったのが方言の問題。私ぐらいの世代の関西人は、土曜日の午前中は学校の授業が普通にあり、学校から帰るとほぼ全員が昼ごはんを食べながら「吉本新喜劇」「モーレツ!!しごき教室」を見て育ったので・・・ 基本的に標準語が喋れません。(断言? それだけが理由ではない!)
なので、小説の会話で恋愛感情心情の機微を台詞で表現しようとすると、私は関西弁でしか語れません。(いや、関西弁でもあやしい) でも、登場人物がコテコテの関西弁で喋っているのを読んでも、東北や九州の読者は機微どころか言いたいことを正しく理解できないでしょうね・・・・・・ 
そこで、「〇〇なんじゃない?」「きっと〇〇だよ」「へえ、そうなんだ」とかいった、ふだん私が決して口にしないような台詞を「さぶいぼ」を出しながら書いているのですが、読者に感情が伝わっているという実感がまるでありません。(「さぶいぼ」なんて、きょうびの若い子らも使わへん関西弁やんか!) ちなみに「さぶいぼ」は標準語でいう「鳥肌」のことですが、寒いときや感動したときだけではなくギャグがスベって寒いとき気色悪いときにも出るものなので、「鳥肌」とは多少ニュアンスが違います。まあ、こればかりはせいぜい恋愛ドラマでも見て標準語の台詞を勉強するしかありませんな。(ドラマなんてほとんど見ないのに「吉本新喜劇」は毎週欠かさず見るおっさんの言うことか!)
 今書いている小説では、キャラを際立たせるためにも、登場人物のひとり(女性)が関西出身で、全国的に通用するレベルのわかりやすい関西弁で話し、その他の登場人物にはムリヤリ標準語を喋らせています。

色づき始めた紅葉

 文化の違いも悩ましいですね。以前課題として提出した短編小説で、若い男女が野菜炒めを作るシーンで、料理が苦手な女性が、新玉ねぎを切るのに苦労していると彼氏が代わりに上手に切ってくれる場面があったのですが(おっさん、どんな小説書いてんねん!というツッコミが聞こえそう・・・) 
講評の先生(女性小説家)が「新玉ねぎ」に「?」をつけて、「長ねぎのこと?」と書いて、新玉ねぎ=長ねぎの前提で、「うちの野菜炒めには必ず新玉ねぎを入れるとか書かないと、ちょっと不自然」と添削されており・・・
「えっ? 新玉ねぎを知らないの?? 普通の玉ねぎは収穫してからひと月ぐらい干してから出荷するのに、春先に干さずに畑から直送する玉ねぎのことや! 甘くて柔らかいけどズルズルで切りにくいので、普通の玉ねぎの5倍ぐらいの高確率で指を切るヤツ! あんた料理したことないんやろ!」と、思わず早口で反論したことがあるのですが・・・・・・ まあ、そういう人にも理解してもらえる文章を書かないと大衆にはわかってもらえないわけで、難しいですよね。酢豚にキュウリを入れるのが当たり前の人もいるわけだし・・・・・・

弘源寺 ただいま特別公開中

 先日、短歌と俳句のスクーリング授業で俳句の句会をしたときに、私は登校するときのバスから見た景色を思い出し、『自転車も 心地よき秋 北大路』という句を詠みました。
暑い夏でもなく寒い冬でもなく、まさにこの秋が自転車で心地よく走るのにもってこいの季節だ! ということと、四条河原町周辺のように自転車乗り入れ禁止の市街地でも、歩道もない狭い道路を命がけでバスや自動車や歩行者と並走しなければならない嵯峨野のようなところでも、長い坂道を登り続ける西大路のようなしんどい道でもなく、広く勾配のない歩道をスイスイと気持ちよく走れる北大路こそが心地よいのだ!! という気持ちを表現したのですが・・・・・・  京都在住の女性がひとりだけ激しく同意して、この句を絶賛してくれた以外に票は入らず、他の全国から集まった出席者は「北大路? 知らない」といった感じでした。とはいえ、「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」とか「五月雨を集めて早し最上川」は、小学校のとき一度しか法隆寺に行ったことがない奈良県人の私や、去年この年齢になって初めて最上川を見た私はもとより、一度も法隆寺や最上川に行ったことがない人にでも名句だとわかるわけで(世間で名句だと言われているからそう思っているだけかも)、きっと私の自称名句との間になかなか越えられない高い壁があるのでしょうね。

鹿王院 紅葉のトンネル

 最近は私の書く文章の意図が若者には伝わらないことも、ときどき実感しますね。「おじさん構文」ってやつでしょうか? 
 ライトノベルをいっぱい読んで、日本語の勉強をしようかな・・・・・・
ではまた。

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