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読んでない本の書評39「宇宙戦争」

141グラム。ただし地球の重力で。

「火星探査機もさんざん着陸する時代になってから読むタコ型火星人の襲来物語、とほほ…」と言うつもりで読んでたら普通に面白い。人類が想定する地球外生命体の形って科学の発展に伴ってしかるべく変わっていくのだろうけど、人類のパニックの起こりかたは100年変わってないらしいところがいい。

 最近、少し大きな地震があって三日間停電した。たったそれだけのことで、思いがけない発見はいろいろあるのだ。電気以外のインフラはすべて来ているのでさしあたって生命の危機はないものの、日ごろの仕事と娯楽は奪われているので、日常の裂け目には完全に落ちていた。
  昼間は乾電池を買える場所を探すのと街の様子をみるために外に出る。往来をびっくりするほどの数の人がふらふらと出歩いていてロメロのゾンビ映画にそっくりだったので感動する。なるほどルーティンを失うととりあえず街はこんな感じになるのか。

 日が暮れると街ごとすっぽり暗闇の中。することがないのでろうそくの灯りで怪談をした。これほどの暗闇の中で、これほど安全に、こんなふうに心にしみじみする怪談ができる機会はもうないだろうなあ、と思ったものだ。本格的に困ったことになる前にインフラは復旧するだろうし、誰かが秩序を守って助けてくれる、と自分が呑気に信じてることにも気づいて「ほぉ」と思った。そういう平和を盲目的に信じることをやめようと思ってみたところで、どっちみち今できることって怪談を語って楽しむくらいしかないもんな、とも。

 宇宙人がタコ型なのかイカ型なのかはさておき、「宇宙戦争」を読んでいると、なるほどパニックはちゃんとこういう順番に進むだろうな、と納得する。
 まず、人が少し浮かれる。浮かれながらも本当にひどい事は起こらない、誰かに守ってもらえると信じている。活動的な人が行動を起こし、その気分がだんだん人々に伝染し、順々にみな感情的になっていく。

 近隣一帯が火星人に襲撃されて焼け野原になりほとんど生存者さえみかけなくなってからの「ぼく」が生き残りの砲兵と出会うくだりがおもしろい。
 他のやつらは知恵がないからただ火星人にやられていくだけだけど、自分には人類救済計画がある、なんていう頼もしい演説に従ってトンネル掘りなんかをはじめる。途中で「あれ、なにかこいつは言ってることもやってることもぜんぶ適当だぞ?」ということに気付く。
 おやおや?と思いながらも無意味なトンネル掘りをし、そのあとでなぜかぐだぐだとシャンパンを飲んだくれトランプでひとしきり遊ぶ。おやおや?とおもいつつもそのトランプあそびが「どれもこれもおもしろくてたまらなかった」。

 まあ、私もそんな感じだろうな、と思う。少しでも大きなことを言う人にまかれて、トランプか怪談かはわからないけれどぎりぎりまで恐怖から目をそらし、一番怖いところができるだけ短い一瞬で済めばいいな、などと思いつつ心からそういうゲームなんかを楽しんじゃうタイプだろうなあ(愉快な駄法螺で人心を惑わす側になってみたい願望もちょっとだけある)。

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