読んでない本の書評37「木曜日だった男 一つの悪夢」
192グラム。タイトルからして早くも意味が分からない。しかし、不可解な状況に追い込まれたときこそ落ち着いて考えてみるべきだ。
北海道の人は電話口で名乗るとき、なぜか過去形になるものだ。
「あ、黒川でした」などと言いながら電話を掛ける。出たほうも、「『黒川だった』んなら、今は何なんだ」なんていう無茶な返答はしない。「どうも、おばんでした」などと愛想よく返すものだ。
私自身は使わないが、いまでも固定電話をメインに使っている世代は普通にこういう話法で会話をしているはずだ。
つまり、私は生まれ育ちから考えて「黒川だった女」であり、「おばんだった女」である。文脈によっては「木曜日だった」ことさえありうるではないか。本を読むときのひとつのポイントは、なんでも他人事だと思わないことだ。
「木曜日だったかもしれない女」であることに加えて、政府にとって危険な思想も持っている。
「一億総活躍」と言われればすぐに二千万の方に入る方法を考えはじめるし、すべての日本人から10円ずつもらえればいくらになるだろうかなどという試算をしたことすらある。ほぼ国家転覆計画と言っても過言ではない。
極端な思想を持っている人よりも、過激な常識人こそ怖いのだ。
そういう話なんじゃないかな。違うかもしれないけれど。
「裏切りのサーカス」という、イギリス諜報部中枢にスパイが潜り込んでやっかいなことになる映画が(内容はさっぱり理解できていないが)大変好きなので「木曜日」をベネディクト・カンバーバッジで再生していくと楽しい。まだ半分しか読んでいないのでオチがわからないのであるが、「男性が三人以上出てくると区別がつかなくなる」という私の習性から考えるに、読んでも読まなくても同じくらいなんだかわからない可能性がある。
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