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そんなバカな、みたいな安心

2019年、師走に入った頃だと思う。
その年の4月に出会った、まだ知り合ってから1年も経たない友人と、寒い夜、おでん屋さんで泣いてた。
嘘みたいだけど、ほんとの話なんだよこれ。
泣きながら、
「わたし、あんたに会えて仲良くなれてすごく嬉しいんだよ」
って。バカなんじゃないの。いや、間違いなくバカなんだけど。まあもう少し、この戯言を聞いてやって下さい。

話は2016年に遡る。
高校1年生、出席番号順に座ったときの後ろ席の男の子と、私は仲良くなりたかった。細っこいからだの、頭の小さいすらっとした人だった。
私の通う高校には、学校指定の制服があったものの私服登校が認められおり、そんな中でサイズのぴったり合った皺のないワイシャツを着て、学校指定のネクタイを毎日きちんと着けてくるのは、彼だけで、そういう些細な所から、なんだか少し変わった雰囲気のある人だった。話しかけられれば冗談も返すし、時折辛辣なツッコミをしたり、人並みに笑ったりする人でもあったけれど、普段彼から会話をはじめることは殆どなくて、その目はどこか遠くだけをぼんやり眺めているような、そんな気がした。そんなところが妙に、不思議と、私の興味を誘った。今思えば私は、彼と仲良くなりたかったんだと思う。彼のことを知りたかったし、もっと話がしたかった。ふとした瞬間の彼が、遠くの何処を見ているのか知りたかった。友達に、なりたかった。
けれども私の不器用さと、彼の他人への無頓着さと、その他諸々が相俟って、ろくすっぽ実のある会話をすることなく、気が向いた時になんとなく冗談を言い合う程度の関係のまま、私たちは高校1年生を終えた。

私も私で、その頃はなかなかに辛い時期だった。自分のことで手一杯で、最期の頃の彼の様子を殆ど覚えていない。あるワンシーン、教室の端の席、それまで周りの他愛もない話を聞いているだけだった彼が適当な冗談を適当につぶやき、周りとそんなことを言う人だった?とけらけら笑った記憶はある、それがたぶん最期に彼に会った日だ。

高校2年生。
4月。彼とはクラスが離れた、彼は学校へは来ていないようだった。

5月。まだ彼は学校へ来ていない。少し心配になった私は「大丈夫?」なんてラインを送る。既読がつくことはなかった。虚しい。

7月。学校で彼が行方不明であると知らされる。意味がないことは分かっていながらも、かつてのクラスメイトとあらゆるSNSで彼のアカウントを探した。

9月。彼の遺体が、遠くの山奥で発見されたと告げられた。

ああ、なんだか、こんなこと、ほんとにあるんだなって思った。
そして遠くを見ているかのようだった彼は、もしかしたらずっと彼岸を見ていたのかもしれない、と妙に納得した自分がいた。

人ひとりの死が、彼の死が、私たちの日常を大きく変えるようなことはなかった。彼の遺族は私たちが葬式に行くことも線香をあげにいくことも望まなかったし、私も含めてそういうことをしに行く程彼と親しくしていた者が、学校のどこにもいなかったのも事実だった。私のクラスではない端っこの教室から、机と椅子がひとつずつ減っただけ、それだけ。
日々は嫌でも続く。生活からは逃れようが無い。私は私で己の鬱を抱え込み、超低空飛行の高校生活、卒業するだけで精一杯で、大学から合格を貰えただけ凄い、なんて思いながら、彼が消えたことが当たり前になった今を、当たり前に生きていた。
死というものは、見ようとしないだけで、案外当たり前に私たちの生活の側にあり、そして一度己の横にある死を視認するとなかなか視界から消えてはくれない。ぼんやりとでも自死を思い描き、死を横目で捉えながら惰性で生きるような鬱鬱とした日々がいつだかの私には確かにあって、彼の死はきっとその延長であり、私と彼、己による己の生と死の隙間、その間にどんな差があるのか、私には未だによく分からない。

知る術が、今は無い。

やっぱり私は、彼と友達になりたかったんだと思う。対話をしてみたかったのだと思う。

そして時は2019。
春のことだ。
私は大学の人の多さに精神をやられながら登校しつつ、なんとなく見に行ったサークルになんとなく入った。
そこであいつに会った。のちのち、おでん屋で一緒にエンエン泣くことになる、友人である。
笑いもするしふざけもするが、時折ぼんやりと遠くを眺めているような瞬間が、その友人にもあった。姿形は彼と全然違うのに、なんだか似てる気がする。咄嗟に嫌だ、と思った。友人にこびりつく鬱が、側にある死が(いやほんと、誰の側にもきちんと死は存在するんだけどさ)私にもうっすら見えているような気がして怖かった。

そして、仲良くならなきゃと思った。

最初に怖いと思ってしまったのを引き摺って、スグにとはいかなかったけれど、自分の弱さを見せることが出来るような、なかなかにかけがえのない友だちになれたと思う。もとい、私、高校には友だちと呼べる人なんてあまりいなかったから(そんなことはどうでもいいんだけど)あまり人と仲良くなれたか否かの基準に自信がないんだけれど、私の中では大事な友達になった。

そしていつだったかあいつが、「僕はいつでも分岐点では妥協のない選択をしたいし、妥協なしにいつだってきちんと生きることを選び続けていたい」というようなことを話してくれたことがある。

その日は寒い夜で、おでんをつつきながら、あいつの向かいの席にいた私は、ふとそのことを思い出した。途端に、今このテーブルを挟んだ向かいに友人がいることの幸せを、そんな私の幸せは友人が生きることを選び続けてきた結果の一番端っこにあるという当たり前を、そんなバカみたいな当たり前を幸せに思えることの幸せを、どうしても伝えたくって堪らなくなった。どんな話の切り出し方をしたのかも、具体的にどう話したのかも覚えていない。けれども気付けば私は、「わたし、あんたに出会えて、仲良くなれてね、今こうやって同じ卓をかこんでいるのが、ほんとに、嬉しいの」などと言いながら、ぼろぼろと泣いていた。そうしたらなぜか友人も泣いていて、なんだかおかしくなって笑い、家路についた。(もういない彼と、彼とは全く違う人生を生きてきたその友人の姿を、勝手に重ねてしまっていたことは私のエゴでしかなく、ある種傲慢ですらある。それを泣き笑いの優しい顔で受け容れて許してくれた友人に、私はとても感謝しています。ありがとう。)
あの時の彼は死を選んだけど、勿論その選択を否定したり間違いであるだなんて言う権利が私には無いのは承知のうえで、(私は、彼と友達にもならなかった私がいっちょまえに彼の死を悲しんだり悔しがったりするのも、断じてお門違いだと思う。)友人は自分の側にある死を視認しつつも、それでも今私の前にいてくれて、それは友人があらゆる分岐点で妥協なしに生きることを選んだが故で、その考えてみれば至極当たり前の事実を抱きしめながら今―ほんと、バカみたいだなあ―でも嬉しくて幸せで、私を心から安心させる。あの時、言葉にしてくれてありがとう、と思う。
ありふれていて些細で当たり前の事実、でも安心する。「そんなバカな」みたいな安心。

作り話だとしたら陳腐だな、そう思いながら、ここまで書いてきた。

勿論あいつだけじゃない。今私と、対話をしてくれて、目を合わせて笑いあったり、時々ちょっと泣いたり、美味しいごはんを囲んだり、ふざけたり、真面目な話をしたり。私に瑞々しい時間を、ちょっと恥ずかしいことを言うけど、生きてるんだってこと噛み締めちゃうような時間をくれる人たちみんな。安心をくれるみんなへ。
出会えてよかった、仲良くなれてよかった、これは愛だよ、ほんとうに大好きなんだ。

今日も生きていてくれて、ありがとう。

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追伸
私にはそういう事があったから、と言い訳をさせて欲しい。
みんなのうちの誰かが、貴方が、居なくなってしまったとしたら。それでも無慈悲に当たり前に続く生活、それはきっと、私にとって今よりももっとずっと凶暴なものになるだろう。けれども逃れられないんだ、生活からは。
誰かが居なくなっても、だからと言って私は死ねないけど、だからこそ、私に心配くらいは沢山させて欲しい。身体のことも心のことも。
これさ、別に大袈裟なんかじゃないんだ。ちょっとした祈り。
世間はちょっと、当たり前に甘え過ぎなんじゃないの、と私は思う。

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