ごごつき

ささいなことから色んな思いを巡らせます。 人との関わり、社会生活、自分のこと、人生のこ…

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ささいなことから色んな思いを巡らせます。 人との関わり、社会生活、自分のこと、人生のこと。 疲れたら離れ小島にひっこんで漫画を読みます。

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はじめに

いつも色んなことを考えています。 ささいなことから発見できることもあれば、いくら考えても納得できないこともあります。 考えることに疲れることもあります。 答えのあるなしに関わらず、今の私が表現できることを書き起こしておこうと思いました。 小さい頃からなんとなく生きることが大変で、 いわゆる「普通の大人」として生活はできているけれど、 それでもなんとなくずっと「私がおかしいの?」という疑問が消えない。 少数派だけど一定数いる、自分と似たような人にはなかなか出会ませ

    • 「ハイ」のうらで思ってること

      すべてを明らかにすることが正しいというわけではない、ということは頭では理解できるのだがスッキリしない。この場合のスッキリは私の自己都合なので無視して良いのだが、そうなると終着点ないし妥協点の設定が難しくなる。まぁ一度話し合いを中断して持ち帰るのが妥当だろう。私の場合は。 一人で考えると答えにたどり着く。その時に周りに誰かがいると私の独り言の受け皿にうっかりなっちゃって、理解できない展開に嫌気がさしたその人が憤る、それだけの話。荒らすつもりはない。一人でもどうせ結論は出るんだけ

      • 人気な若い女の先生

         忘れられない先生の言葉はいくつかあるけど、大した思い出もないのに思い出す回数のとびぬけて多い先生がいる。私のくしゃみを聞いて、「ふふ。おやじみたーい」と言った女の人。家庭科の先生。くしゃみをする度に思い出す。  田舎の女子中学生のアイデンティティ確立に、姉が大きな影響を与えることは想像に難くない。私は中学生まで姉の存在に翻弄されていた。姉が目立つため、姉の卒業と同時に入学した私はあらゆる人から声をかけられた。こないだまで崖を上って遊んでた私を要注意人物としてマークする先生

        • その時に見える風景を

          考えて、言葉に残したくなって、文章にするけれど、的確な表現にすることはできない。たくさんの言葉を勉強して、自分なりに言い回しを考えてみても、選んだ単語が内包する別の意味に気を取られて、その否定のために文字数ばかりが増えて、本来の目的からずれる。私は表現者になりたいのではない。私は、ただ私を知りたくてその方法を探している。 心理学や脳科学を勉強しても、きっと私は私を解明することはできはしない。なんとなく輪郭は見えても、数式で表すような厳密な「私」など存在しない。私は日々悩み、

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          帰結する先はいつも

          すり減って、無駄に性格悪い言い方をしちゃって、ひとりで自己嫌悪に陥る。ひとつひとつに丁寧にしたいのに、優しくなりたいのに。かと思えば、「いつも元気でいいね」と言われると何かがつかえる。暴力的な気持ちが湧いてくる。あちらこちらからすり減るのと角が取れるのとはわけが違う。作り笑顔で生成されるエンドルフィンでは賄えないものもある。 本当は、誰かに理解して欲しい。心休まる居場所が欲しい。誰にも受け入れられない私の中の世界をすべて、分かって欲しい。最終的に理解はされなくても、私の見て

          帰結する先はいつも

          渇くほどに。

          不満を簡単には言えなくて、その時ぐっと我慢したら次に言える時は二度となくて、少しずつ、少しずつ、蓄積していく。言葉を選ぼうとするほど、私の気持ちは隠されて、自分を棚に上げた言い方ができなくて、結局自分で背負うことになる。そうしてカラカラに渇いて、怒りでもなんでもエネルギーすら湧かなくなって、ただ自分の殻に閉じこもる。感情の動きが見えない周りは私をドライなやつと言う。これまで、ずっとそうだった。 閉じ込めているだけ。大きなエネルギーを持て余している。正の感情も負の感情もあるけ

          渇くほどに。

          考察 生きる意味とは

          的確な表現のできないこの感覚。消えたいわけでもない、死にたいわけでもない、何かを見つけたいわけでもない、誰かにすがりたいわけでもない。ひとつだけあるとすれば、眠りたい。夢も見ずに、明日のことも考えずに、時間を逆算せずに、ただ眠りたい。 私の身体に違いないのに、違和感がある。関節のひとつひとつが軋んで、内蔵が詰まったような音がする。自分の手すら遠い。動かしているのが自分じゃないようだ。 遮断したはずの感情が働いている。何に対してこみ上げてくるのか、眼の奥からにじむのか。あか

          考察 生きる意味とは

          この感覚のことをそう呼ぶのか

          定期的にやってくるこの感覚にまた今もさらされている。全てが遠くて、世間からつまはじきにされているような、誰かが私を陥れるとかそういうんじゃなく、ただ届かない。家族の中にいても、保育園の中にいても、いつも私はあの輪の中にいなかった。身体は近いのに、いつも少しのズレがあって、みんなと同じものをみても同じようには笑えなかった。愛想笑いを覚えてタイミングを図るほど、遠くなって行く。ライフステージが進むほど焦燥感みたいなものは薄れて、それでも時々その事実が重い。 決定的な何かやきっか

          この感覚のことをそう呼ぶのか