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渇くほどに。

不満を簡単には言えなくて、その時ぐっと我慢したら次に言える時は二度となくて、少しずつ、少しずつ、蓄積していく。言葉を選ぼうとするほど、私の気持ちは隠されて、自分を棚に上げた言い方ができなくて、結局自分で背負うことになる。そうしてカラカラに渇いて、怒りでもなんでもエネルギーすら湧かなくなって、ただ自分の殻に閉じこもる。感情の動きが見えない周りは私をドライなやつと言う。これまで、ずっとそうだった。

閉じ込めているだけ。大きなエネルギーを持て余している。正の感情も負の感情もあるけれど、そのどれもが私にはなんとなく遠くて、くすぶったまま。本気になりたい。本気で何かに取り組んで、大きな達成感を感じてみたい。でも壊れるまで働いても達成感の得られなかった私は、何をすればいいのか分からない。自分の好きなことが分からない。文章や物語を読んでも、自分で何かを創造できないのなら、意味はあるのだろうかと考えてしまう。物語を通して誰かの感情を追体験しても、それが自分の成長となるのかは分からない。成長のためと意味づけしてみたところで、終わりのないものには達成感などない。なんの実感もない。ただ疲れて終わる。日々が通り過ぎていく。必死にひとつひとつに取り組んでみたって、どんどんすり減って行くだけで、何も掴めない。だからと言って開き直ることもできなくて、いつも次こそは、次こそは何かを得られると気持ちのどこかが期待している。期待して、必死になって、掴めなくて、すり減って、他者にがっかりして、自分を酷評して、そうして露わになるのはあの感覚だけなのに。

いない。誰も。私がきっと変わっている。誰とも共感できないのは、私がおかしいからだ。だからといって逸脱しているわけでもなく、いわゆる普通の生活をしている。ここではないどこかになら、私の満たされる世界はあるのかと思いを馳せてみても、探すほど意欲もない。誰かやどこかを求めてはみたけれど、思い浮かべるものはない。きっと物質的な何かじゃない。気持ちを感じるのが苦手な私の心を揺らすのは、誰かが代弁してくれる物語や音楽で、でも結局それは媒介に過ぎなくて、私が本当に私だけの感覚で響くのは、ふとした時の呼吸と色。葉脈を辿るような意識の中で、過去と未来が突発的に閉ざされて、目の前の世界の色が飛び込んでくる感覚。大気の流れが見える瞬間。言葉にしようとしたら急に褪せるから、結局誰かと分かち合えることはない。過去の自分と、未来の自分とで記憶の中で確かめ合うことしかできない。

本当は手放しで誰かの胸にうずまって、全てを委ねてみたい。「分かるよ」って、言われてみたい。思考の波に疲れた時、すべての責任を放り投げてみたい。今この時、1秒ごとに生じる責任を、思いっきり神様のせいにしてみたい。そしたら私は、何かに出会えるだろうか。一心不乱に突っ走れる道に。私だけのための何かに。


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