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その時に見える風景を

考えて、言葉に残したくなって、文章にするけれど、的確な表現にすることはできない。たくさんの言葉を勉強して、自分なりに言い回しを考えてみても、選んだ単語が内包する別の意味に気を取られて、その否定のために文字数ばかりが増えて、本来の目的からずれる。私は表現者になりたいのではない。私は、ただ私を知りたくてその方法を探している。

心理学や脳科学を勉強しても、きっと私は私を解明することはできはしない。なんとなく輪郭は見えても、数式で表すような厳密な「私」など存在しない。私は日々悩み、変動し、新しいことを知ったり過去に囚われたりする。それも含めて、変化の幅まで漸化式でまとめられたとしても、私はその数式を超えたい。

激情で愛されたいと思う日もあるけれど、それは手段的で逃避的で、本当の思いを深堀りすればやっぱり少し面倒に感じる。気を許せる人や好きな人もいるけれど、その感情は私には扱いきれない。結局は私は、自分の中の世界で精一杯なのだ。過去から探り、未来を憂い、意識は常に今にはない。私は目前のことにあまり興味がなかったかもしれない。傍観しているつもりで、分析だけして、参加者ではなかった。私に視える世界が、多くの人には視えないのだと知った時、私はまたひとりになった。喋っても、書き起こしても、黙っていても、私は誰の理解も得られない。そしてその事実を少し虚しく思っても、別にショックではない。映画を観て泣くことはできても、どのシーンに何を感じたのかはよく分からない。私を感受性が高いと言う人と、頭をひねる人とがいるけど、まぁどっちでもいい。あなたにはそう視えただけのこと。あなたに語られるような人物に留まりたくないと思うだけ。

人は進化できる。あんなに激しかったあの人が、言葉を飲み込んで冷静でいようとしている。きっと諦めたり、悔しかったりしただろう。今もやるせないでいるかもしれない。それでも変わることを選んだあの人は、今日より良くなる明日を信じたのでしょう。変わらないことを選んだ人は、周りの変化に気付いていないけれど、自分が満足しているならそれでいいんだろう。周りがあなたを諦めたよ。変わりたくないと駄々をこねたら周りが変わってくれるんだ。そこで失くしていく信頼は、あなたにとって不要だっただけのこと。信頼よりも大事な何かをあなたは守ったのでしょう。

何を守って、何を捨てるか。そうやって人は生きていく。私は何を守って、何を捨てるだろう。今ここにいる私は、なにを選択してきたのだろう。今私が持たないものも、かつて持っていたものとして脳のどこかに記録されているだろうか。何かのにおいを嗅いで、具体的なシーンが思い出せなくても郷愁に駆られるのは、きっと、使われることのなくなった感覚が残っているんだ。私のどこかに、膨大な情報が蓄積されている。私が忘れたなにかを私のどこかが憶えている。誰に解明されなくても、私だけは、私を知りたいと思い続けて欲しい。体積よりもはるかに多くて、きっと死ぬまでアクセスされない神経回路もあって、出番はないかもしれないけど、どれかひとつでも欠けたら今の私じゃなくなるんだよ。表面にみえないもので構成された私を、私は死ぬまで辿り続けるだろう。老いを受け入れた時、私はなにを思うだろうか。その時に見える風景に、心が揺さぶられることを期待している。だから私は手を抜けない。今この時も、だらけている時間すらも、本気でない自分を許さない。答えを知るその時に、間に合わせじゃない本物を知りたいから。

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