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【No.2 そうだ、中島へ行こう。】

こんにちは!ジョルディです。
第二弾となる今回は、東京から中島についてのお話をしたいと思います。現在、中島にきてもうすぐ2週間になりますが、記憶を呼び起こしながら綴っていきます!

1. 東京から中島へ

朝7:50成田発の飛行機で松山空港へ。格安の往復で3万円弱ぐらいでした。(直前にとったので少し高いかもです)愛媛についてまず感じたのは、「天気の良いこと!」瀬戸内海に面しているだけあって、湿気も少なく、心地いいそよ風とともに私を迎えてくれました。

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早速、その足で中島に向かうべくフェリー乗り場がある高浜港へ向かいました。途中の通過駅に三津浜があります。愛媛に来る前に、予習がてらに読んだ「坂の上の雲」で、「青雲の志を抱き、三人の若者は三津の海から旅立った」という文が本にあったので覚えていました。
三津浜を車窓から眺めた時、ふと自分と重ね合わせてしまいます。彼ら3人(正岡子規と秋山兄弟)は青雲の志を抱き東京に向かい、逆に私は異なる志を抱き中島へ向かうのだな...と。穏やかな内海を眺めると、旅立つ彼らの胸には希望だけではなく、故郷を離れる寂しさもあったのかもしれませんね。

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2. 中島汽船(高浜港〜大浦港)

という感傷的な話はどうでもよくて、高浜港から中島行きのフェリーに乗りました!(下のマップが航路です)中島は愛媛県松山市に属する離島で、忽那(くつな)諸島のひとつです。その中で最大の島だそうです。これらの島々は全体が瀬戸内海国立公園に属しているということなので、私は今、国立公園に住んでいると言えますね笑 国立公園に住みたいなら、中島がオススメです!

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ちなみにフェリーの料金は片道900円でした。(高浜港→中島大浦港)
1日に5回ほど船が出ているので、急遽陸地に戻りたいと思っても案外交通の便に苦労はしなさそうです。ちなみにここはフェリー以外にもタンカーやら貨物車やら、多くの貿易船も通行していて、日本を代表する国際航路らしいです。鎌倉時代〜戦国時代にかけては伊予水軍が瀬戸内海で名を馳せていたのは有名ですが、その水軍の実態は、河野氏に臣従した村上水軍を中心に、忽那氏・今岡氏・得居氏などが所属していたそうです。なので中島が属する忽那諸島は、その一族の忽那氏の領域だったのでしょう、おそらく....笑

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高浜港で待っていると、迎えてくれたのは伊予水軍の忽那一族ではなく、中島汽船のフェリーでした。しかし予想以上に大きいフェリーで、船内も売店やらテレビやら、また新幹線のような座り心地の良い椅子も設備されており、900円は決して高くないのかもなと感じました。(下の写真は、フェリー船内から眺めた景色です)

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3. 中島到着(大浦港)

中島に到着後、自分を受け入れてくれた農音の田中さんが軽トラで出迎えてくれました。早速、荷台にスーツケースを乗せて、島案内をしてくれました。その車の中で話してくれたのが、中島の現実。
実際に島の人口は3000を切り、2000近くになっていること、小学校は吸収合併を繰り返し現在1校のみとなっていること、みかん農家を営む人の高齢化により、耕作放棄地が増えていることなど。一方で、移住者も増えていて、今では外国からもこの中島に移住してきている人も多くいるみたい。

でも自分自身も中島に訪れて感じたのは、のどかな風景とゆっくりと流れる時間です。間違いなく東京で感じられないものだし、どんなにお金があっても得られないものだとも感じました。だから去るひともいれば来るひともいるのかもしれませんね。

少し冗長的になりましたが、次回は、我が家の古民家のお話をします!乞うご期待を!

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