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NONVERBAL,Inc.代表について(前編)

ご挨拶

はじめまして。
株式会社ノンバーバルの代表取締役、
ブランディングディレクターの冨士武徳(ふじたけのり)と申します。

私は2010年より設立したブランディング会社NONVEBRAL,Inc.(株式会社ノンバーバル)という企業で「すべての心に愛(ブランド)を。」という社会的ミッションの下に経営理念「世界で信頼される日本のブランディングファームへ」を掲げ、クライアント企業の経営、事業、商品・サービス開発などにまつわるブランディング構築のデザイナー(設計者)という立場で事業をしております。

” デザイナー ” を志した経歴


私自身のキャリアは、
もともとは ” グラフィックデザイナー ” でした。

幼少期に描いたヒアシンスのアートが教材となったり、街のアートコンテストで優秀賞を獲得したりと。調子に乗った暁には漫画家を目指していたり。高校では女の子にモテたいためだけにバンド活動に明け暮れ、バンドで有名になるには?さらにファンを増やしていくためには、どのようにしたら増えるんだろう?なんてことを考える日々を過ごしていた学生でした。

そんなことを考えているうちにギターをかき鳴らしているよりも(友達の方が断然、演奏が上手いので)私はバンドTシャツやライブのフライヤーを作っている方が面白くなってくるわけです。

デザイナーへの道を目指すきっかけ


(これで飯食われへんのかな...
でも、こんなことする仕事って何ていう仕事なんやろ...)

と思いはじめたのは、当時18才(2001年)のジリジリとした猛暑の夏。
書類で埋もれた親父のパソコンを夜な夜な勝手に立ち上げて、検索。

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その時に「デザイナー」という職業があることを知ったわけです。
「デザイナーになりた〜い!」ということで
デザインを学んでみたいということで「大阪」「デザイナー」「学校」と検索し、「大阪デザイナー専門学校」が検索ヒット。
大学進学ではなく、専門への進学を考え、
そのことを親に相談したら、はい、やはり...即答で却下。
(今、考えると当たり前ですね...)
それまで私立中高一貫で高額な教育費を親に払ってもらっていたこともあり、母親に愕然とされ、ひどく怒られました。
「大学へ進学しないなら、自分で専門学校の費用を出しなさい!」と。

どうしようもない自分の不甲斐なさ


それから「このわからずや〜!」と私は家を飛び出し、無計画なひとり暮らしをしながら、ジリ貧の中、単純な思いつきから即行動というリスキーな単細胞思考で、専門学校の授業料をスロット店スタッフとして働きながら稼ぐ日々。昼間部の授業料は高くて、仕方なく...夜間部で通うことに。

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入学後も朝から夕方のギリギリまで働き、大阪梅田の学校へ1時間の移動で通うのですが、夜間授業に間に合うか間に合わないかの中。そんなこともあって、理論の授業に遅刻しすぎて、即日単位を落としてしまったこともありました。(私の出席をとる時に友人に「冨士〜」「は〜い。」って言わせてたことが見つかったからですね...)

” きっかけ ” が開けたデザイナーへの道


そんな懸命な日々の中、私がデザイナーとしての道を真剣にさせ、さらに加速させられたきっかけがありました。それは、デザイン専門誌に取り上げられていた一流のデザイナーさんのデザイン表現、モノゴトの考え方に魅了され、瞬く間に身体中に電流が「ドーーーーン!」と走った経験からです。

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「(うわ〜〜〜っ!)私もデザイナーとして、社会で活躍したい!」

というものでした。

デザイナー業界の厳しい条件


その日からというもの人が変わったように(狂ったように...)デザインに関する勉強を学校以外でも独学で学んでいったように思います。
その頃から自身の就職活動もスタートさせ、私は他の誰よりも早く就職をしてやろう!と考えから、同期のクラスメンバーでは行動が早かったと思います。
しかし、この業界での就職はそうは簡単には甘くはなく、
スムーズに就職できるわけではありませんでした。

その時期は就職氷河期で、そもそもこのデザイン業界自体が技術専門職であり、新卒採用はほとんど採用していないというのが条件面であることを知ることになるのです。

つまり、どこのデザイン会社の求人を見ても

・「中途採用募集」
・「実務経験3年以上」
・「28〜32歳のデザイナー募集」

というような募集要項ばかりだったのです。

私はその時に項目を見て落胆しましたが、
同時に悔しさも含め、業界への違和感も覚えました。

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「なんちゅう、業界や!学校いっても入られへん業界って何やねん!」
という感じです。

業界に生まれた反骨真


私は「新卒でなくてもいい。アルバイトからでもいいから、とにかく、デザイン業界に入ってこの不条理な業界を変えてやるんだ!」という想いも同時にフツフツと湧いてきたわけです。

そんな業界への怒りに満ちた若者がデザイン会社に面接にいくわけですからことごとく、不採用なわけです...。それでも負けずに自信満々に自身のヘタクソなポートフォリオを持って、大人たちに挑戦する日々でした。

(中略)

デザイナーの道、アルバイトからのスタート


いろいろと採用にいたるまであらゆる手段、奥の手(某企業の昼食休憩タイムを狙って、採用担当者をそこの社員に聞きつけるなんてこともしたりw)を駆使して、そんなこんなで広告代理店のデザイナーアシスタントのアルバイトとして雇用していただけることになりました。

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そこから私の社会人としてのデザイナーへの道がはじまり、ようやく一つの舞台へと上がり始めることができました。

前編は、以上になります。
ここまで読んで頂きましてありがとうございます。後編は下記のリンクより書かせていただいてますので、宜しければご覧ください。


【 会社概要 】 NONVERBAL®︎,Inc.について


12年間で1500案件以上の企業のブランディングで信頼と実績を積み上げ、アジアや日本企業のブランディングデザインを専門事業として、活動しています。会社概要、実績資料、BtoB、BtoC、採用、商品やサービスブランディングに関するホワイトペーパーなどは下記リンクの当社サイトより無料にてダウンロードしていただけます。


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