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君が思い出になる前に

(今週の共通テーマ: 空港)

「到着便のご案内をいたします。アルゼンチンからのEK318は、ただいま到着いたしました」

ついに来た。

指先に、ぐっと熱がこもる。僕は片手に持っていた、もうすでにだいぶぬるくなってしまった缶コーヒーをぐいっとあおった。甘さで舌がざらつく。

僕は空港が嫌いだ。
世界中とつながっているせいで、大切なものを、手のとどかないほど遠くまで、簡単に運んでいってしまう。

飛行機を作ったやつはだれだと、あの日の夜、居酒屋で暴れていた僕に「ライト兄弟だよ」なんて丁寧に教えてくれたヨースケには、大変正確なアッパーを食らわせてしまった。

そんな遠い昔を思い出して、頭を抱える。

平日の早朝だというのに、空港はザワザワと、多くのひとでひしめき合っていた。チェックを終え、大きな荷物を持った人々が目の前を通過していく。その度に穴があくほど見つめる僕を、みんな不思議そうに見ていた。

ちらりと時計に目をやると、先ほどのアナウンスから、15分ほどが経過していた。
今頃、到着した荷物を受け取っている頃だろう。

ふーと一息ついて、唇をきゅっと結んだ。

「…え、うそ。タカシ?」
なつかしい声がして、僕はハッと顔をあげた。
そこにはがちゃがちゃと騒がしい色を身にまとった、アジア雑貨のような女性...マホが、僕の顔を覗き込んでいた。
トレードマークの長いポニーテールが、さらりと揺れる。

「まさか迎えにきてくれるなんて思ってもみなかった」
マホはよいしょ、とカフェのはじに荷物を寄せた。途端、中からカラカラと色々な音が響く。

僕らは、空港のラウンジのちいさなカフェに、向かい合って座った。出発した頃はあんなに白かったマホの肌は、いまや、その面影がないくらいにこんがり焼けている。

「しかもこんな早朝に。本当びっくりした」

久々に会ったせいだろうか。どこか、遠い、知らないひとのように感じる。
僕は、緊張と嬉しさと、何やらわけのわからないものがぐちゃぐちゃに混ざったような、複雑な気持ちで彼女を見つめる。

「僕もびっくりした。なんか…雑貨が歩いてきたのかとおもった」
それを聞いたマホがケラケラ笑った。

マホが突然、南米へ行くと言いだしたのは1年前のこと。当時学生だった僕は、彼女の提案に相当面食らった。

10年。僕らは幼馴染で、ずっと一緒に育ってきたから、それがどれくらい本気なのか、冗談なのかは、目をみればすぐにわかった。

あれよあれよと、旅の準備と、大学の休学手続きを済まし、マホはさっさと南米へと旅立っていってしまったのだ。帰る日さえ告げずに。

あの日、空港で見送った背中を、僕は鮮明に覚えている。ちぎれんばかりに手をふる僕らを、1度も振り向かなかった。
彼女を吸い込んでいった空港のゲートはなんだかもう、別の惑星の、宇宙船のように見えたし、とうとう「好き」のたった二文字さえ伝えられなかった僕は、息がつまりそうで、情けなくて、喉になにかおもりが付いているように苦しかった。

恥ずかしながら空港のトイレで、何度も泣いた。

そんなマホから、帰国を知らせる絵葉書が僕の自宅に届いたのは、つい数日前のことだった。鳥のように鮮やかな色の絵葉書に「早朝便でアルゼンチンから帰る」と日付と一緒に書かれていた。めちゃくちゃに嬉しくて、僕は柄にもなく、朝から飛んで跳ねてよろこんだ。

「てかさ。絵葉書て!せめてメールしろよ」
僕が怒ったふりをすると、マホはくしゃっと笑う。

「あー。ごめんごめん。まさかね、タカシが迎えにくるなんて夢にも思わなくてさ」
夢にも思わなかった、か。僕は心の中で復唱したあと、がっくりと肩を落とす。
それが、僕との間にある、そのままの、確かな今の距離。

僕らは、南米の話、仕事の話、仲間の話、旅の話。そんなことを矢継ぎに話をする。
話を続けるうちに、知らない他人のように見えたマホが、だんだん、僕の知っているひとへと姿を変えていく。
ちかくに、温度を感じる距離に相手がいることは、やはり大きい。

どんなに気軽に連絡が取れる時代になったからって、やはり、会わない時間が長ければ長いほど、僕らは離れていく。物理的な距離は、綺麗事を並べたって、結局心の距離になる。そんなの、わかりきっていた。

だからこそ、これだけは、聞かなければならない。
「あの、さ」
緊張で耳鳴りがする。まるで自分の頭とお腹が心臓になったみたいだった。
「これからって…どうするの? また大学に復学するの?」
どうか神様。南米様。飛行機様。
彼女を、どこにも連れていかないでください。

「うん、わたし。大学やめてさ。向こうで喫茶店やろうと思ってる」
予想の斜め上をいくからりとした回答に、僕の思考回路は停止していた。

「だからね」
たぶんもう、ここには戻ってこないと思う。

「見送りなんて、よかったのに」
出発日の1ヶ月後は本当にあっという間にやってきた。
驚くほどに軽装なマホは、あの日空港で会ったときと同じ、騒がしい色の服を身にまとっている。

「そろそろ行くね。また、連絡するから」
マホは、出発ゲートに向かって歩き出した。その姿が、何もできなかったあの日と、綺麗に重なる。

僕は空港が嫌いだ。
飛行機をつくったやつは、もっと嫌いだ。

だけれど。
そんなのは、ただの言い訳で。
僕はただ、自分を、選んでもらう自信がなかっただけなのだ。

「あのさ」

マホがくるりとこちらを振り向く。ポニーテールが、さらりと揺れた。

「君にどうしてもいま、伝えたいことが、あるんだ」

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