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膨らみすぎた期待と横たわった現実の隙間で【ネパール・カトマンズ】

「なぜそんなに旅が好きなのか」の質問には、いつも頭を悩ませる。
それは、旅が好きだと思ったことが、多分1度もないからだ。
マグロが止まってしまうと死んでしまうのと同じように、どちらかというと私にとって「移動すること」は呼吸するのと同じ感覚で、一箇所にジッとしていると心が、死んでいく気がする。
黒い塊に侵食されていくあの感じは、今も言葉にできない。
あの感覚から私を救い出してくれたのが、旅だったのだ。

そんな事を、久々の旅はゆっくりゆっくり、教えてくれる。 

ダハニとトニにさよならを告げ、お金を払うため空港のカウンターに向かった。
ネパールはビザが必要な国。15日間で25ドルほどだ。
ビザチェックのカウンターに進むと、褐色の肌に、頭にはコックさんのような可愛らしい赤い帽子が乗っている男性が、こっちへ来いと手招きしていた。
「ハロー」と微笑むと、返事は返ってこない。
その代わりにその帽子とは似つかわしくないほどの鋭い眼差しで、1度こちらをチラリと見ると、ダンダンッと大きな音を立てながらビザのスタンプを押してくれた。 
小さくお礼をいうと、早く行け、と合図される。 
次から次へと大量の人であふれ返るビザコーナーでは、挨拶を交わす時間すらも惜しいようだった。

予想以上に小さいカトマンズ空港の、荷物受け取りに続く細長い空間は、まるで重箱に詰められて豆のように、人でぎゅうぎゅうに埋め尽くされていた。
背伸びして前の方に目をこらしてみると、ゴウンゴウンとレールが動いているのが見える。荷物が流れている気配はするようだった。 
バランスを崩す瞬間、かろうじて目に入った看板にはレーンの番号が振られていて、どうやら4つのレーンが存在することは認識できた。 


「すいません。インドからきたレーンはどれでしょうか?」
近くの男性の方をトントンっと叩き尋ねると、聞き覚えのない言葉が彼の口から漏れた。
ん?首をかしげると、相手も、ん?と首をかしげる。
どうやら、ネパールの言葉らしい。

どうしようか迷っていると「ムンバイ」と隣にいた女性が1レーンの方を指差してくれたので、
「thank you」と返すと、
「ダンニャバード」
と手を合わせる。 
わたしも慌てて「ダンニャバード」と手を合わせ、1レーンへと急いだ。


人混みをかき分けていると、視界の隅に、見覚えのある横顔が通過した気がした。
 

はっとしてその姿を追うと、彼だった。 

4ヶ月前、ネパールの空港で、と待ち合わせを交わした、背のすらり伸びただけれどどこか遠慮がちで猫背の、彼だ。

出かけた声が、喉に絡みついて詰まる。 


簡素な格好にマスク姿で飄々と歩いていく彼と、決して旅向きではないワンピースに、お気に入りのピアスを下げたわたし。
その姿は「ネパールで合流すること」への期待の込め方のギャップを物語っているようで、なんだか途端、ものすごく恥ずかしくなった。

何を浮かれているのだ。
彼にとって、これは長い旅のはじまりだった。

わたしは一旦話しかけるのを諦め、レーンの途切れに自分の荷物を見つけ、ずるずると引き上げる。
ちいさな深呼吸をしてちらりと後ろを見なおすと、さきほどの彼がしゃがみこんで、何かを一生懸命書いている姿が目にとまった。

私は開いている方の手で耳に付いていた大袈裟なピアスを外し、リュックの中にそっとねじ込んだ。

「ビザのお金払ったのに、スタンプが押されてなかったんです」
ちょんっと後ろから肩を叩くと、彼は一言ああ、と私を視界に捉えると、 何やら書類に向き合いペンを走らせながらこう言い放った。  

久々の再会は、こんな風に、驚くほどにすんなり終わった。

お腹の中に残ったもんやりした感覚は、何かドラマチックな展開でも期待していたのか。

それとも、浮かれていた自分への嫌悪感か。

書類を記載する彼を待ちながら、わたしは、ただただ流れていく人混みを、夢のようにぼんやりと眺めていた。

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