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淡い先祖返り

(共通の書き出し:多分、トングのようなもので挟まれている )

*今回は出だしを書き出し小説名作集「猫は挫折を経て丸くなった」から抜粋し、物語をつくっています。

多分、トングのようなもので挟まれている。
そんな感覚が走ったのは、授業が終わった後の事だった。
するどい、だけれど我慢できなくはないような、そんな違和感。
自分の体に集中し、その発症もとを手でたどっていると、「起立」と掛け声がかかる。慌てて立ち上がり頭をさげると、さらりと前に下がった黒髪の間から、教室のドアを颯爽と開け、去っていくグレースーツに包まれた後ろ姿が見えた。

次の授業は、日本史だ。小テストがあるらしいと、確か隣のクラスが噂していた。私は机の右にかかった、スクールバッグのジッパーを開け、らくがきだらけの教科書とノートを取り出す。じゃらじゃらと付いた色とりどりのキーホルダー達が互いにぶつかりあって、気怠そうに絡み合う。

「今日のテスト範囲って分かる?」
ぐるりと体を開いて自分の席に座ったまま、前の席のユイが少し遠慮がちに振り返る。
「今日は多分これ。2020年の日本オリンピックの話から、30年前後のやつ」
いつも通り、私も応える。
「あぁ。あのへんか。ありがと」
ユイはふんふん、と頷くと、わたしの目の前でパンッと両手をあわせた。いつもこんな風に、少し申し訳なさそうにしながらも、ちゃっかり私から、テスト範囲を盗んでいく。愛嬌ある彼女の得意技だ。

復習に戻ろうと机に視線を落としたところで、ふと、先ほど感じた体の違和感を思い出す。私は自分の席に向き直ろうとしているユイの服を後ろから右手で、ちょんと捕まえた。

「なんかさ。さっき、なんかトングに掴まれたような変な違和感を体に感じたんだよ、わたし」
「トング? トングってなんだっけ?」
ユイが顔をしかめて、仕方なさそうにこちらに向き直る。

「ほら、昔、パン屋さんとかでパン掴むのに使ってたでしょ。うちのアンティークショップに置いてあるの、見せたことあるでしょ?」
私は右手で、カチカチとトングで掴むジェスチャーをした。

ユイは、ふぅん、と明らかに興味がなさそうな相槌を打つと、チラリと机の教科書に目を向ける。あからさまにテストの予習をしたい様子だが、それで
も私は諦めない。

「あれで掴まれたような変な違和感があったの。でも、これになんて名前をつけていいのかわからなくって気持ち悪いんだよね」
私はトントン、と体の真ん中をさしながらユイに問う。
「んー。“痛い”とは違うの?なんか、最近突然変異で “痛い”を感じる人が増えてるって、巷で噂じゃん。それじゃないの?」

「これが “痛い“ なのかな。でも ”痛い” って、なんか、耐えられないんでしょ。そういうのじゃないんだよね。それこそぎゅって軽く触られるみたいな。」

私が首をかしげていると、そんなに気になるなら図書館にでも行ってみたら、とユイが教科書に向き直りながらひらひらと手を振る。

どうやらそろそろ、ユイのテストの予習と私の話の天秤は、思い切りテストの予習へと傾いたようだった。その頃には、あの時感じた違和感は、綺麗さっぱり消えていた。

「図書館で歴史の本棚を見たいのですが、鍵っていただけますか」
放課後、私は素直に図書館で調べごとをするため、先生の元へと向かった。

簡素なグレーの机に向き合っていた先生の体が、わたしの方に向き直る。きいっと、椅子に体重がかかる音がして、先生がわたしを見上げた。

その瞬間、突然にトングはやってきた。
カチカチっと掴む練習をしたかと思うと、ぎゅっと捻るように掴みかかってくる。

まるでそれは
例えば、食べ合わせの悪い食物を口の中でミックスしているような、
例えば、ここではないどこかに今すぐ走り出さなければいけない絶対命令を下されたような
例えば、星だけが空を覆い、お互いの顔も見えないような真っ暗闇の宇宙にいるような
いままでに経験したことのないような感覚だった。

放課後の図書館は思いの外賑わっていて、特に新書コーナーには人だかりができていた。そういえば今日は、月刊「雨の日の午前3時」の発売日だ。

わたしは人ごみをするりと抜けると、誰もいない、窓からオレンジの光が差し込むだけの、昔の書物が並ぶ本棚の前に向かった。入り口には鍵がかかっている。貴重な資料だからだそうだ。私は先ほどの鍵を大きな鍵穴に刺すと、小気味良い、カチリという音が鳴った。

何百枚もある分厚い束の、金と赤で丁寧に刺繍された本と目があう。表紙には「感情」とだけ書かれていた。

感情。その多くを人類は不必要なものとして失い続け、今では10種類ほどに減ってしまったが、ほんの150年前までは、何百種類とあったらしい。

そのことを授業で習った時に、衝撃を受けた。そんなに心が揺れ動いてしまったら、毎日忙しいのではないか。そんな心配と同時に、昔の人類が編み出したドラマや書物がこんなに色にとんでいることに、感動したのだ。
そこから、わたしの歴史への興味ははじまったのかもしれない。

パラパラと本をめくっていると、何やら自分の体に起こっている現象と、本当に酷似しているページに目がとまった。
わたしはそのページをしっかりと脳に記憶に残し、再度先生の元へと向かう。

これが本当にこの現象と同じであれば、どうやら私の中の遠い先祖が目覚めてしまったことになる。これはどうにか、対処しなければならない。

「先生」
わたしは再度、先生に話しかける。職員室は傾きはじめた陽に照らされて、オレンジに光を放っている。先生は、その陰になるように、静かにパソコンを叩いていた。

「先生」
もう一度気合を込めて呼びなおすと、先生がこちらを向き直った。

やはり、トングだ。
わたしはこの目を直視することで、体が、トングに挟まれている。

私は息を吸い直し、こう伝えた。

「先生。わたし、先生を見ると心がつままれたような、ざわざわするような、いてもたってもいられないような、そんな感覚になるんです」
「多分その感情を生んでいるのは、先生です。そしてこの感情は「恋」と呼ぶらしいのです」
そう言い放った瞬間、いつもは無感情の先生の目が一瞬揺れたような気がした。

「先祖返りでしょうか? 病気なのでしょうか? 一体わたしは、どうしたら良いのでしょうか?」

そう言い放った瞬間、わたしの中にはまた、違う感情が生まれ始めていた。

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