日常のときめき探しは、迷子になってしまった「本当の好き」を迎えに行くのと少し似ている
何か上手になるためには、それなりの訓練が必要なように。
自分の心の中にあるときめきや、好きなものにアンテナを立てて
「ああ。私ってこんなものに惹かれるんだ」と嬉しくなったり
「こんなことが幸せなんだ」とほっこりした気持ちを綴ったり。
そんな気持ちや言葉をつくっていくにも、日々の訓練が必要なのだと思う。
そしてその訓練には特別、これといって道具は何も必要なくて。
ただただ、
”いつもの日常を、ちょっと違う目線で今日は見てやろう”
なんて、ちょっといたずらチックな気持ちひとつで、簡単にできてしまうのだ。
"日々感じたときめきをエネルギーに変えて、アウトプットしていく住人が集まる惑星"
そんなコンセプトの旗を立てて5月に動き出したオンラインコミュニティ.colony(ドットコロニー)の仲間たちで
「じゃあ、町に落ちているときめきを探しに行こうよ」
という話になり、私たちはお気に入りのカメラを首から下げて1日、町を歩きながら自分たちの心の中にある”ときめき”と向き合う写真さんぽを実践してみた。
向かった町は門前仲町。
「古き良き日本の香り」と「ツンとお洒落した今風の空気」がほどよく混じり合う町だ。
アイス屋さん、パン屋さん、お洒落なカフェ。
オープンしたばかりのお店に、ふうわり咲く紫陽花。
最初はそんな、確かに形のはっきりとした「ときめき」をみんなで探してゆく。
「ここのステップアップ、柄がちがう」
「壁に反射している影がきれい」
「木のあいだから溢れる木漏れ日を写したい」
時間が経過するごとに徐々に、これまで町に溶けて見えなくなっていたものたちが、少しずつゆっくりと、わたしの目にうつり出した。
はっきりと形を主張しないもの。
だけれどそこに、確かに存在しているもの。
ひとつ気づくと、不思議と芋づる式に、ふたつ、みっつと、これまで見えなかったものたちが形となって飛び出してくる。
それは、いつも歩いていたはずの道路から。
それは、いつも見上げていたはずの木々の間から。
それは、普段付き合っていたはずの自分の心から。
ときめきのかけらとして、心に飛び込んでくる。それらはきっと、本来自分の心の中にある、「好き」のかけらでもあるのだ。
何気ない日常から、ときめきを探せるひとは、人生の楽しみ方を知っている。そしてその幸せは、空気になり、周りのひとへも伝染する。
つまり、自分の幸せをつくるのが上手な人になれる。
”いつもの日常を、ちょっと違う目線で今日は見てやろう”
そんな気持ちひとつでできてしまうのだから、こんなにお得な話はない。
今回は、わたしたちが見つけたときめきを”写真”という形でアウトプットすることにした。
だけれど形は、なんだっていいのだ。
きっと今後も「ときめきのかけら」を、こうして何かの形に変えて私たちはアウトプットを繰り返していくのだろう。
いくつになっても、自分の”好き”見失わないように。
自分のときめきを、無くさないように。
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なんでもない穏やかなきょうのいちにちを いとおしく いきてゆくの笑っている方が ずっと いいよ なんてことないって 深呼吸しながらくちなしの花咲く 太陽にむけ 胸を 開いてそっと髪をほどいて自由になってはなうたを うたいながら 空に手を伸ばす - moumoon / IROIRO
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