甲子園は清原のためにあるのか?
今年の夏の甲子園は、慶応の優勝で終わった。
慶応といえば、自分の息子が在籍しているということで、毎試合、清原が応援に来とった。
それは別に構わんのだが、なぜか清原はいつも屋根のついた涼しげな席で観戦しておった。
他の保護者は猛暑の中、スタンドで汗水たらして、応援していたというのに・・。
知恵袋には「清原がスタンドにいると、客席が混乱するので、主催者側が関係者席にアテンドしているんです」と書いておったが、果たしてそうだろうか?
本当は清原が「ワシが来とんじゃい! 暑いスタンドやのうて、関係者席で観戦させんかい! ボケえ!」と、無理強いしたのではないか?
いや清原の口からそう言わなくても、顔にそう書いとったに違いない。
清原の迫力にブルった主催者側が、忖度したのであろう。
無理もない。
なんせ、あいつは、現役時代、デッドボールをぶつけた投手に向かって、バットを投げつけた男なのだ。
そのあと、マウンドへ駆け寄り、投手に飛び蹴りをくらわした男なのである。(くわしくは、「清原乱闘」で検索)
そんなスーパーバイオレンスマシーンが、甲子園に現れたら、誰だって、忖度するに決まっておる。
主催者側だけではない。
選手もそうだと思う。
今年の慶応はめちゃ強かったが、それは実力もさることながら、やはり、清原が応援に来ていたことが大きかったと思う。
「負けたら、俺ら、清原のオヤジにボコられんじゃね?」
「殺されんじゃね?」
てな会話が恐らく慶応ナインの間で、繰り広げられたのであろう。
負けたら、命がない。
そう思えば、誰だって必死に戦うものだ。
そして、それは慶応の対戦相手もしかりである。
「勝ったら、俺ら、清原にぶっ飛ばされんじゃね?」
「命なくなんじゃね?」
てな会話が恐らく相手ナインの間で、繰り広げられたであろう。
勝ったら、死が待っている。
そう思えば、誰だって本気を出せなくなる。
清原に殺されないために、いつも以上の力で頑張る慶応ナイン。
清原に殺されないために、いつも以下の力で勝負する相手ナイン。
勝負あったといえよう。
もっといえば、応援団もしかり。
慶応の方は声が小さいと「もっと声ださんかい! しばいたろか!」と、清原に怒鳴られるので、必死に声を出す。
逆に、相手の方はあまり盛り上がると、「じゃかわしいんじゃ! いてもうたろか!」と、清原に怒鳴られるので、なるべくおとなしめに応援する。
こうして、甲子園球場全体が、清原に忖度した結果、今大会の慶応の優勝につながった、とおいらはそう見ている。
1985年。夏の甲子園。
PL学園と宇部商との決勝戦で、2アーチ目を放った清原に実況アナがこう叫んだ。
「甲子園は清原のためにあるのか~!」
まさにそれ。
甲子園は清原のためにあるのである。
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