地方公務員の本棚 中公新書編①

皆さんは、本を読まれるだろうか。
断言しよう。私は本は、「買うけど読まない」人間である。
買ってみたはいいものの10ページも読まずにそのままになっている本が、本当に山ほどある。
では、それは無駄だったかというと、そうではないと私は思う。
なぜか。それは例えば、私が『マックス・ウェーバー』という本を買ったということは、私が大学を卒業してもなお社会学の巨人に魅せられ続け、思考の糧をそこに得ようとしたということを意味する。本棚の本は、一冊一冊が私の関心・志向・生き様の塊であると言っても過言ではないのだ。
しかし、「何のために買ったか」ということを忘れる恐怖もなきにしもあらずである。
そこで、本棚紹介と称して、それぞれの本を購入した動機などをまとめることにした。以下の要領で記載していく。

『書名』(著者名、出版年、出版社名などの書誌情報)
①読んだか読んでないか、どのくらい読んだか、読んでないか
②購入した時期や動機
③内容
④感想

これは、読まれない本たちへの懺悔であり、レクイエムであるーー


『マックス・ウェーバー』(野口雅弘、2020年、中公新書)
①どちらかと言えば読んだ
②発売(2020年5月)とほぼ同時に購入。ウェーバー没後100周年企画ということで、同時に出た岩波新書のものも購入。大学生の頃は社会学を専門にしていた(笑)が、社会学に進むきっかけとなったのがウェーバーの考えに触れたことであり、私にとってウェーバーは思い入れが強い人物である。
③ウェーバーの生涯をたどりながら主要著作の内容に触れていくものである。ただし、オーソドックスな主要著作の内容の解説というよりは、個々の研究が生まれる背景や、その研究のウェーバーにとっての意義、後世へのインパクトなどが重点的に描かれる。固有名詞がハチャメチャに出てくるので、ウェーバー思想の射程の幅広さは感じとることができるかもしれないが、政治学・政治哲学・経済思想などの分野の知識がある程度ないと読めないと思う。私も読めなかった。
④ウェーバー思想の歴史的評価や政治思想的な文脈への位置づけという色が出すぎているように思えてしまった。「入門書」を謳っているが、単にウェーバーの思想を知りたいのなら、『マックス・ウェーバーを読む』(仲正昌樹、講談社現代新書)のほうがいいと思う。その上で、この本は2冊目に読めば政治思想というジャンルの射程が、ウェーバーを介して見渡せるようなかんじがする。ちょうど仲正本がウェーバーの生涯についてあまり触れていないので、相補的に使えると思う。

『移民と日本社会』(永吉希久子、2020年、中公新書)
①どちらかと言えば読んでない
②2020年の5月頃に購入。当時、外国人雇用に関わる業務に携わっており、その兼ね合いで基本資料としてちょうどいい本を探していたこともあり購入。ちなみに、課内で3~4人は読んでたと思う。課長から末端まで、外国人雇用に関わる人はだいたい読んでるという感じだった。ちょっとあり得ない意識の高さである。
③人が国際的に移動する要因や、日本国の外国人受け入れスキーム(在留資格の種類など)を解説したあと、計量データを用いた現状分析や、移民がもたらすと考えられている問題、ヘイトクライムなどについて検討を行うもの。前半部分に、日本は「移民を受け入れていない」という建前と「実は働き手として外国人をたくさん受け入れている」実態について、データに基づいて触れられており、多くの人にとってはこの部分だけでも非常に有用と思われる。
④良質な教科書であると思えるだけ、私には「単なる事実の羅列」に映ってしまい、読み通すことはできなかった。同時期に出た『ルポ 技能実習生』(澤田晃宏、ちくま新書)のほうが、(教科書とは呼べないかもしれないが)面白く、「生の声」の感じが伴っていて好きである。ちなみに、この本は上司に貸したまま返ってこなかった。

『自民党 ーー「一強」の実像』(中北浩爾、2017、中公新書)
①読んでない
②コロナ前、俺の安倍晋三が有頂天でとどまることを知らないという時代に出た本である。当時、割とリベラル・反自民色の強い大学に在籍しており、大学生協の書店で平積みになっていたこともあって、「政治についても関心もたんといかんかな~」くらいの気持ちで購入。
③従来の自民党政治のキーワードであった「派閥」の機能が弱体化してきており、結果、総裁の「一強」となっている、そしてその「一強」原理を支えるメカニズムを歴史的な背景とともに紐解く、みたいな内容だった気がするがよく覚えていない。
④高校生くらいまでは、私は愚かにも、各政党は一枚岩の体制で、政治とはそれら政党が理念・政策をぶつけ合うものだと思っていたのだが、当然同じ与党内でも大臣ポストは限られているし、各議員は地盤に応じて意見が食い違うこともある。そういった党内政治の面に気づかせてくれた本です。安倍晋三が失脚し、菅首相がコロナで怪しい今でも分析の視点自体は古びていない部分が多いと思うので、機会があれば読み返したい。

『教養主義の没落』(竹内洋、2003年、中公新書)
①どちらかといえば読んでない
②大学の授業の課題図書なので買った。(3冊読破のうえ1冊についてレポート、という課題について、この本だけはなんだか肌に合わないまま読み通せずでした。T先生ごめんなさい。)
③もう本当に全然覚えていないが、大正教養主義の流れをくんだ日本のエリート学生文化としての教養をブルデューの理論を使って分析(文学部生(農村出身が多い)が自らの卓越化を強く意識して教養をつけていった、みたいな話だった気がする)し、それが今では「キョウヨウ」なんて口にするのはビジネス書の感想をFacebookに投稿してるサラリーマンだけになっちゃったネ、でもそれって自らの文化に同調する(例えば、みんながFACTFULNESSを読むからそうする)だけのもので、「教養」が本来持ってた、現実の社会から距離をとったり、そんな自分の姿勢を疑ったりする態度はもうなくなっちゃったんじゃない?みたいな話だったと思う。
④とくにない。帯に「反知性主義が台頭している理由がわかる」とあるが、多分分からないと思う。文化資本ガーとか言ってるTwitter論客の皆様は読めばいいんじゃないでしょうか。私もですね。

『企業福祉の終焉』(橘木俊詔、2005年、中公新書)
①読んでない
②大学生の頃、ブックオフで安かったので買ったんだと思う。私は当時、「誰が福祉のコストを負うべきか」ということと、日本的経営論などに関心があったので、ちょうどそのいいとこ取りの本だと思ったのだろう。
③目次などを読む限り、「いかに企業福祉がオワコンで、企業が福祉の領域から退いてよいか」を主張し、そのぶんの福祉を誰が担う社会が望ましいのかを検討するものであるらしい。
④菅首相が着任時「自助・共助・公助」と発言し、いろんな意味で話題になったが、多分この本は「共助(企業)」が撤退したぶんは「公助」を厚くせよみたいなことを言うんだと思う(なぜなら、知識人・学者の多くがそういうものだから)。実現可能性のある提案ならヒントになるかもしれないので読みたいと思う。(ちなみに、社会保障分野に学問がどのように関わるべきかについては、盛山和夫のこの論文を読むと、明朝の眠気に氷水がスッと喉の奥を通るように目が覚める。)

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