リメンバーミー、死んだら人は思い出になるか。

「人は死んだら誰かの思い出になるのよ」と舞城王太郎が「煙か土か食い物」で言っていた。
そうしたら、誰の思い出にもならない人間は、どうしたらいいんだろう。

「リメンバーミー」という映画で泣いた。

メキシコを舞台にしたアニメ映画で、曽祖父が失踪し、女手1つで1大企業を作った曾祖母を持つ少年の話。
曽祖父が音楽家を夢見て失踪したので、一族では音楽は厳禁となっている。
ある死者の日(日本でいうお盆のようなもの)、音楽家を夢見るこの少年は、売れっ子アイドルの墓からギターを盗み出し、音楽コンテストに出ようとする。
しかし、死者の日に死者の物を盗んだ者は死者の国から帰れなくなってしまう。それを避けるには、先祖に許しを貰えれば良いが、音楽を愛する少年に死者である曾祖母は許しを与えない。
曾祖母の写真と売れっ子アイドルの持っていたギターから、売れっ子アイドルが自分の曽祖父だと思った少年は、売れっ子アイドルに許しを貰いに行く。
その間出会った、売れっ子アイドルの友人を名乗る男性に、死者は生者に忘れられると消えてしまうため、生者の国に帰ったら自分の写真を飾ってもらうことを条件に、協力を得られることになる。

この映画のモチーフは、やっぱり家族愛なのだけれども、それ以上に、「生者に忘れられた時、死者は消えてしまう」ということが酷く痛ましい。

こういう映画を見ると、「はて、自分が死んだ時、覚えていてくれる人はいるだろうか」と思う。

自分が死んでも誰かが泣いてくれるとは思えない。
それは、私が横暴だったからではなくて、誰かにとって都合のいい存在でしかなかったからだ。

だから、よく他人には「私が死んだら、私が存在したことを覚えていてくれ」と言ってしまうけれど、ついこのあいだも、一年以上一緒によく飲みに行っていた人に、1年会わなければ、顔も名前も思い出さえも忘れ去られてしまっていた。

ローマの元老院が皇帝に対する刑として、「記憶抹消刑」がある。
これは、あまりの暗君暴君であった皇帝に対し、死後その記録の一切を抹消し、壁画などにある肖像画も削り取ってしまうというもの。

人間を完全に抹消してしまうという意味で、残酷な刑だと思う。

映画では、売れっ子アイドルが歌の権利を奪うために少年の曾祖父を殺していて、今まで協力してくれていたアイドルの友人を名乗る男性が、本当の曽祖父だと発覚する。
おかげで、曽祖父の記憶は受け継がれ、曽祖父は消えないで済む。

少年の曽祖父は、たまたま子孫がいたから、そして彼がたまたま死者の国へ来たから良いけれど、孤独死する人は、好きで孤独死をしているわけではないし、子孫を残せる人は今の日本では多数派ではない。

愛されて、望まれて生まれてきた人間は、当たり前のように自分の存在に自信があって、当たり前のように新しい家族を作るけれど、そうじゃない人は、なぜか自分から自分を大切にしてくれない人の所へ行ってしまう。
そして、新しい家族も上手くいかないことが多い。

私は消えないでいられるだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?