見出し画像

事実は一つ。でも受け止め方で、見える世界が変わってくる。

昨日、ふたたびnoteを再開した。連続投稿100日を目指して。


昨年の10月から12月年末まで3か月の間、毎日毎日1つずつ投稿していた。
しかし、1月1日に投稿することを忘れたまま24時を超えてしまい、そこで毎日連続が途切れた。


その後の1週間は、書いたり書かなかったりで、昨日は3日ぶりの投稿になった。
昨日のnoteを書くのには、今までのどれと比べても負けないほどのエネルギーが必要だった。


なぜなら心の声が「3か月の間、連続投稿するの大変だったでしょ?もうちょっと休んでから、また始めたらいいよ」とか「眠いでしょ。寝ちゃおうよ」と、とにかく甘い言葉をささやいてくるのだ。
連続投稿のスタート地点に立つことを思いとどまらせようと、必死に誘導してくる。


確かに、毎日投稿をするのは大変なこともあった。
毎日、時間を1時間以上、書くことに割かなければならない。
「今日は、何を書こう?」と、いつも考えていて、書くことがなくても必死に絞り出した。

そんな大変だったことばかりが次々と思い出されたが、昨日は、心の声を振り切って、「次は100日を目指します」という内容の記事を投稿した。


そうしたら不思議なもので、10月から12月までの3か月間、毎日noteを投稿していたからこそ得られたものが、どんどん思い浮かんできたのだ。

自分への自信。
スキやフォロー、コメントをしてもらえた時の喜び。
書くことで自分の考えていることがより明確になったり。

***

「事実」はひとつ。でも、それをどう受け止めるかで、見える世界が変わってくる。という「コップの水」を例にあげた話を思い出した。

コップの中に水が半分入っている。
そのコップを見て、水が「もう半分しかない」と受け止めるか、「まだ半分ある」と受け止めるか。
「もう半分しかない」と思ってしまう人は、ものごとを悲観的にとらえがちな人。
「まだ半分ある」と思う人は、楽観的にとらえる傾向がある人。
 
ひとつの事実に対して、真逆の受け止め方をしている。


noteの話とコップの話を重ね合わせ、私は、ついつい真っ先に、ものごとの悲観的な面に目を向けがちなのかもしれないなと気づく。


今日も書きたいことがなかなか思い浮かばなくて、絞り出すように書いている。
けれど、絞り出しながらも続けることで「得られること」にもしっかり目を向けて、またコツコツ積み上げていこうと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?