したがき

人生はいってしまえば茶番だと思う。

世の中なんて所詮はそんなもの。

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ふと考えた

僕が幼少期、一般的な家庭像として家族団らんがあった。

一家の大黒柱の親父がいて、家を守る母親がいて、その祖父母、子供がいれば、4人以上の人間が生活している。

三世代家族もいれば核家族のような家庭もあった。

どこの家にも今と変わらずに色々と問題や修羅場はあったはずだ。
何かのきっかけで、最高の事もあれば最悪な事が重なる。
運命もタイミングも神様も人間も残酷と言えば残酷だし、そもそも、良い悪いの好み以前に、どうして自分が世界の中心とした正義や価値観で物事や生活を考えているのだろうか。ただただ息苦しい。

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私は難しい事を考えているみたいな言葉や文字を並べれば、私は難しい事を考えているのですよ、普通とは違うのですとアピール出来ている気がしている。

意味のない事、今すべき事をしないで、ただただ無駄な事しか考えてない。そして、その自分の姿は見えない。生きていくの難しい。

群像劇という名にした茶番劇の中で僕は僕を生きる。

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今でもやっぱり僕はこんな感じ。
良くも悪くもは好みや見る人の問題でもある。

でも普通の人はインターネット上にあるアカウントや自分の何かは、定期的に削除しておくのがベターだと思う。ベストかどうかは分からない。人それぞれ。

例えば僕が10年前からあるアカウントがあったとして、(僕はサブ垢や裏鍵アカウント等は一切作っていません)10年前のその時の僕の言動を切り取られるのは誤解であったとしてもリスクにしかならない。
それは今も分かっている。

今現在と10年前は別だ。当時は当時で、その時はその時で必死で事情もあって、と言わずとも、そもそも社会も人間も同じだが全くの別物だ。
諸行無常という言葉くらい理解しておけよと思う。

みんな偉そうに解かったような事口にするし語りやがるけど、お前は一体何様で何なんだよと思う。

そのそれらこそ茶番よ。

僕も、これから自分の立場も意識もどう変わっているか分からない。
それは未来の可能性に自分を懸けるしかない。

泣いてばかりで何もせずに追々と死んでいく姿は無様だ。嫌だ。見たくも無いし、気持ちが悪い。成りたくも無い。

今は考えを改めていたり、まったくそんなことを思っていないようなことで「こいつ10年前にこんな事言ってた!」
と揚げ足をとられるのはたまったものじゃない。

僕のメンヘラネタも、今となっては、今となってはだよ。

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死を望む言葉はそのほとんどが生きる辛さの裏返しだ。

喜んで死を望む人間はほぼいないと思う。

そもそも、今でもそもそもだけど。
人間に死を意識して語る事は神様委の証明以上に絶対に出来ない。
死んでも出来ないからね。

よくよく、そこを理解した上で命や死について考えるなら考えればいい。
現実はそんなに生きるも死ぬも、そう甘くない。
まだまだ。僕らは「まだまだ」だ。

最悪の悲劇につながらないために 自分の身は自分で守れる強さも必要です。

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知識や経験が自分の幼さ、至らなさ。

僕は友達に言い訳して謝ってばかりだ。

「忙しくて」
「事情があって」

色々あるなら最初からしなければいい。
やりたくないならやらなくていい。
生かされた自分が、その自分で決めればいい。

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問題を解決させない友達がいる。

あまり意識しないようにしている。
これは能力の問題だ。人間性ではない、人間としての能力の話。

僕は彼や彼女の事をできるだけ大切な友達だ。
だから気にしない為に、少しづつ距離を置いていくようになった。

この補足説明は不必要と思うけれど。

ビジネス書や自己啓発書を読破して人間が変われたり成長するなら、誰も苦労もしない。
僕らのそれぞれが抱えている問題なんてのは、もしかしたら過去に人類が、名前も知らない偉人たちが、命がけで人生を捧げて向き合ってきた人間の話(問題)だと思う。

名前も知らない事を恥じろとは言っているのではない。
何も変われない僕の友達は、僕よりも時間や労力を現実的に割いている。
勉強をしている。でも、何も変わらない。

僕から見て変わっていないだけだと思う。
けれど話をしていて、聞かせてくれる結論は、問題自体を解決する事も無く、変化をする気が、大前提、無いという事に気が付いた。

今の自分、今の生活、今の自分たちのこの環境。
故に、だから、これがこれも現実として自分に出来る事をするスタンスは正しいと思う。だから僕は友達だ。

僕も同じような者だろう。
変わらなくてもいいと思ってるんだろう、と言われた烈火のごとく怒るだろう火傷するだろう。
でも、変わらなくても今すぐ目の前に生活が出来なくなって路頭に迷う現実を想定していないから僕らは変わらないし変わる気が無いのかも知れない。

そういう意識で勉強や何かをしようとしているみたいだ。

確かに環境は変えるのも難しい。
一人(軸)で生きている世界(線)ならそれでも良いし、楽かもしれない。

だから変わる気がないのだと思う。

僕も今に満足してはいない。この行き着く先は暗闇。

でも今が甘んじて許されるなら言い訳でも何でも並べて、痛い思いや辛い怖い思いをしてまで変わりたくないのだ。

叶わぬ報われない夢や現実なら、僕がなぜ命を賭けてまでその夢や現実に向かって手を伸ばさなければ、殺されなければならないのだ。

そとに首輪つけて飼い殺されるしかない人生を選ぶことを自分で決めろと言われている、いや、自分で決め込んで行っているのと同じだ。

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変わらなくても今すぐ目の前に生活が出来なくなって路頭に迷う現実を想定していないから僕らは変わらないし変わる気が無いのかも知れない。

ここは、変わる方向が決められない。
今まで間違ってきた自分の判断や決断の人生を振り返って、これから自分がどう生きていけばいいのか、その選択する道が見えなくて不安で怖くて迷いながら決められずに苦しんでいるけど、それでも僕は親に対して以外はすべて応えている。

僕と関わりが一定の線を越えてある奴は、僕に何も言うなよ。
僕が聞くことが出来るのは、大好きな彼や彼女たちからの連絡だけだ。

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なぜなら今まで俺は何もしていない。
まだ何も成していないし、何も伝えられていない。


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