下書き
今日もお疲れ様。
今日も生きてる。
・・
どうしても辛くい。死にたい、絶望や不安。
そういう時は何か別の事をするのが良い。
そう言うと(言われてしまうと)
「(辛い時)そんな時に他の事なんて出来ないわ」
「手が付かない」
と言ってしまう。その気持ちも理解できる。
でも、人間はそうやって色々と有象無象ありながら生きる。
それだけでいい、というか、それしかない。
そうやって時間が過ぎ、また違う別の他の事が次から次に起きる。
そしてまた延々と続く、堂々巡りのような日々が続くのだと思う。
だから、今いる場所や、次に向かう先、そこが地獄でなければいいと僕は思う。
まだ地獄だ、死にたいだというのなら、道を間違えているのかもしれない。
今は(まだ)その時ではない事をしているのかもしれない。
・・
仕事って、一度就職すると、一生涯そこで働く。
終身雇用的な人生を歩めると今でも腹の中で考えている人は多いと思う。
僕もそうだ。あと、就職と結婚は似ている。
独りよがりで一人で完結する話ではない。
最近、思い出したこともある。
僕が就職しなかったのは、ここに僕の幸せは無いと宣言していたからだ。
就職してサラリーマン、雇われる形になって、一般的な普通の仕事についてしまうと動けなくなる。僕が仕事というより、生活スタイルを固めてしまう事を頑なに拒絶した理由はそれだ。
山口県に僕は行く。そこで僕は幸せになる。
来ていいよと言われた時に、いつでも僕が出て行けるように。
だから僕は月6日休みとかありえなかった。
定時だろうが残業だろうが安定していようが関係ない。
そもそも僕の幸せがそれではなかった。
幸せの答えが死んでもそれではなかった。
だから僕は意地でも、就職する気は無かった。
けれど、今はその理由が無い。
僕は山口県に行き、帰ってき、末に自殺に至る。
今の僕は幸せや生きる自分の目標を探している。
「何かないかな、何しようかな」ではない。
・・
僕は青春を取り戻す、失った人生を取り返すと言っているけど、その言い方だと誤解が生まれると思う。
僕は今から、子供では出来ない、経験しないと分からない、知らないと想像もできない世界。大人にならないと、お金も、時間も、余裕余力が無いと、楽しめない世界。
それを知っている僕はそこに辿り着こうとしているだけ。
その僕についてくるのも、協力する事も、僕にとっては等価条件。
僕は感動を求める。
共有を求める。
金も無くなり、時間も無くなり、生きていた人たちも居なくなり、僕らも、僕の恩人も、仲間や家族も亡くなり。
僕が他人と共有できる事がどんどん無くなってきた。
他人はいいよ。関係ないから。
どうでもいい。どうでもいい事だと思う。
でも僕は違う。
どれだけ今からやり直すかに勝負をかけた。
その結果はまだ分からない。
もし今の現状報告をしろと言われたら、言わないね。
最悪な事は言わない。
手の内は魅せない。
そうしないと僕はこのまま殺されちゃう。
そうしないと僕は君らに有耶無耶に無かったものにされちゃう。
・・
社会が変わるように人間も変わるのです。
色んな人がいるように、今に始まった訳では無いのです。
例えばnoteのタグで発達障害と検索すると、大人の発達障害から始まり、次から次へと新しい単語が出てくる。
そこで出てくる新しい言葉(単語)を見て、僕は新しいもの(新しい言葉)が生まれたように感じているけれど、もしかしたらそれも違うのかもしれない。
実際には言葉がそこには初めて登場したように貴方や僕には見えるだけで、絶対とは言いませんが、今まで過去にそれは世の中に存在しているのだと思います。
本人が知らないだけなのです。
僕が知らないだけなのです。
そこの場所では知られていなかったか、偶然、知らないか。
僕らが気が付いていなかっただけかも。
だから意外と普通に存在していたのかもしれません。
そう思います。
いや、それでも違うという人は違う世界で生きているだけなのです。
人の世界観や価値観にとやかく言う事はしないので、それはそれで僕が自分の線引きをして自分を守っていれば相手しなくて良いのだと思います。
正義と正義がぶつかると戦争になるでしょう?
そこに善悪は、双方に「絶対の正義」があるのです。
だから争い合うのです。憎しみ合うのです。だから殺すのでしょう。
相手から見れば「反対側は敵対する悪」なのかもしれない。
けれど、その中にはそう思ってこちら側を見ていない人もいるだろうし、そんなこと考えてもいない、それどころではない人たちもいて、それもまた命のやり取りをしながらまた群像しながら、ながらながら人が死んでいっているのです。
その死んだ人にも家族やその人の生きている世界や環境があるのに。
不要な生き死にを賭けたり語るのは、何も出来ない何もしなくならない程度に。
ひっそりと誰にも迷惑を掛けずに生きていこうと思います、なんて無理。
世界が変わったように僕らも変わらなければならないのだと思う。
・・
今を生きる。今を生きるという事。
今を生きる為、好きな事で生きていく。
何か違うよなと思っていた違和感は、好きな事をしている人や好きな事で生きていくと謳っている人間が悪人や胡散臭く見えているからだ。
みんな今頃何してんだろうね。
皆も変わらず頑張ってると思う。
どんな仕事をして、どんな生活をしているかなんて興味ない。
きっと今頃
「え、そんな事いってたっけ」
「ああ、そんな時もあったな」
とか、言うだけ。その顔が簡単に浮かぶ。
だから笑うしかない。笑うだけだと思う。
僕が嫌っていた彼とある時に少しだけメッセージのやり取りをする機会があって、お互いに誤解や、何か悪い話があった訳でも無いのに僕が嫌っていた話。
その時に僕も彼もお互いにベストな会話や遣り取りをしている。
けど、僕は彼が良い人間で、僕の誤解や勘違いで仲良くなれなかったんだとは思っていない。
僕はその時の事は
「ただの雑談」
としか判断していない。
別に彼は特別な思いや気持ち持って、僕と話をしていたわけではない。
至って普通の、良好な雑談をしただけだ。
人間は変わるけど変わらないものだ。
だからそういうもんなのだ。人間なんて所詮そんなもの。
簡単に平気で手のひらも返すし嘘もつけば裏切るし傷つける。
そこに気が付くのも、人間としての成熟(成長)なのだろうなと思う。
・・
僕もまだまだこれから生きて色々な出会いや経験をすると思う。
その中でまた新しい発見や世界を知り、次の生き甲斐を見つける。
幸せの形を自分に合わせて見出すしかない。
今の僕が例え話で使うのは自己理解が足りないって事かな。
話が長くなるの嫌だなと思ったら辞めようと今決めたのでおやすみ。
あと6時間くらい起きてる。
そう。
何か他の事っていうのが、どうしても見つからないのなら
僕に連絡して。
僕も同じだから。
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