自分で考えるしかない理由

僕が最近気が付いた事。

会話の中で、相手が僕に聞いてきた事、質問、相談に対しては話を今まで通り聞いても良い。
相手が質問や相談でなければ、話は雑談なので聞き流すのがいい。
相手との関係性、相手の人となりを考えて会話をする方が良い。

相手はただ話を聞いてもらいたい、あるいは、ただの雑談のひとつかもしれない。それならば当然、アドバイスや提案などは一切いらない。聞く必要が相手本人には無いしそれを求めていないのだ。

何かしなければ、何かしてあげないといけないと思うのは、間違いだ。
おせっかいとか、よかれとおもって、おおきなおせわ、とか面倒だから。
はっきりいえば、間違いなのだ。

相手が自分の家族や大切な人であれば、仲間や恩義ある人にも。
良くない方向に向かっているのを見守るのも愛だ。

見守らずに口だけ出すのは、匿名の落書きと同じで悪でしかない。
偽名や責任の所在も無いネットの意見と同じで、害しかない。
無責任とは僕にとって悪であり害だから、僕はそことは関わり少なくする。

僕も暇な時に、今でもふと友達に連絡したり電話するけど。
そんな時は相手の時間を奪ってしまわないように気を付けないといけない。

子供のうちは、相手の背景が解らないからね。

「忙しいならいいですよ」
「今何してるの暇?」

というのは、暇か暇でないかの話ではないのだ。
そこの問題では無いのだ。

「一言、言ってくれたら」
と、僕もよく使う。臨機応変に対応したい。

大人になるって事は、考えている事が多くなるという事かもしれない。
考えている事が、みんな、それぞれで全く別。別世界なのだ。

同じ人間で同じように生活して、色々とは言え相手と自分は同じ感覚や価値観で社会で生きていると思うから見えなくなっているのだ。

「普通はさ」
というのが簡単な言葉ではあるけど、まさにだ。

僕も使ってしまう、気にし過ぎは良くないから話を進める。

そもそも「普通」と言っている僕の普通や、貴方の普通が、普通から逸脱している事もある事、それすら気が付かない。

でも、そうやってコミュニティを形成するのが人間だ。

自分の意見と相性がいい場所。
ルールやマナーもそう、モラルもだ。
自分の価値観や普通という感覚が自然と合う環境。
人間関係も、その土地の風習、人柄もある。

ちなみに県民性ではない。その住んでいる家の環境だ。
生まれた家や家族は選べない。
その家や家族の普通や教育や環境がその人なのだ。

差別する気は無いが、僕から見て、下品な人たちが多い所に行けば自ずと下品な人や事も増える。
経営者に囲まれて育てば、自営業と言うものの考え方や見え方が変わる。
人とは違ってくる。
そこに関しても「僕の普通が、他人も普通」では無いという事だ。

こういう話をしても、やっぱりなって思う。

僕の周りで、僕が背中を追いかけてる奴らは
「そんなこと分かっとるわ」
と笑いながら僕に時々連絡をくれる。
「悪いな、色々解かってなかったわ」
と僕も返す。

僕も相手も、お互いに何を抱えて、何を背負っているのかなんて知らない。
だから敬意をもって、僕は大切な人を裏切らないように生きたい。

・・

自分の事だから、人生に責任を負うのは本人。
当事者が一番だとは思う。
けど、それは違う。本人だからといって、本人だけの事ではないのだ。

良い事も悪い事も色んな事、関わり支え合い思い合う気持ちで成り立っているそれが家族だ。本人の次に影響を受ける者たちだ。

僕は家族でなくても、血がつながっていなくても、
大切な人たちの事は最後まで一緒に見ていたい。

だから、僕は裏切らない。嘘も出来るだけつきたくない。
裏切らせたくもないけど、裏切るなら、そいつは僕の他人だ。

敵でもいい。僕はその方が理性が働く。
境界線で外敵扱いにすれば。

僕は大切な人の力になりたい。それが男でも女でも会えない人でも。
対等で等価ならば、今でも僕は全力で行ける。

だから、自分の人生だ、自分の事だと言って
「自分」を言い張って、言い切るのはお粗末なのだ。

・・

僕の周りには、偶然今ツラい人が多くて、今の僕を知らない人が多いから僕に連絡をくれるのだけど。僕も辛い中だ。

でも、ちょっと度を越えた状態(大変な人)人もいる。
僕は当然何か力になりたいとは思うけど、その人はどこまでも自分の意見や視野の殻みたいなものが強い。
我が強いと言うより、絶対的な自信が強い、だから僕の意見は聞かない。

聞かないと言うより、少しでも自分の意見と違ったり、知らない範疇になると、黙っていても不機嫌が全開に出てしまう人なので、恩人ではあるけど、あれから以降は核心の話の前に僕は一歩降りている。

だから僕は、今回は何も言わない事にした。

その人と僕との間だから、僕にしか言えない、僕にしか分からない事かもしれない。だから出来るだけの事をしたい。

けど、その人は自分で経験している事で、これはこうなんだ、と決めた事は自己理解も他者(社)理解も含めて絶対に今は変えない。
そういうのは難しい言葉で説明するのも違うと思う。

みんなそういうもんだって事で解決というか納得できた。

こういう時はこうなっている
「これはこうだから、こうなるんだよ。だから何でもこうなるんだよ」
「こういう時はこうするだろ、だから俺がこうするのに、これが解んねえ奴らが多すぎなんだ」
それで本人が成功しているのなら、その職場や現場、その今いる人間関係の中ではそれがデフォルトになっているだけだ。

その場の事を僕は知らないから何も言わないけど、人間は、その都度自分の主張に都合がいい情報を語るし、そのうち、記憶が書き換わってしまう事もある。
それに、わからない奴と言っている人たちからみて、本人がどう見られているのかなんてのは解らない。

自信があるのは自分が出来るからだけど、それが出来るているかどうかの部分は当事者では見えていないから、バランス感覚は社会の中で生きていく為には考えていないと苦しくなるのだと思う。

そう話すと、
「出来とるわ!」
「俺が今まで全部やってきたんじゃ!お前に何が解かるんな!」
「お前もそいつらみたいにわからん奴やな」
というのも、そもそもお前が解ってないのだ。
いや、かもしれないのだ。
それに、もしかしたら現場は何も思っていないかもしれない。

この場合は僕から見て、その人は話を聞いて欲しいだけなのか、本当に僕から見えている意見が聞きたいのか、今まで解らなかった。

だからその答えは
わからないから
わからない対象には
それ以上は何も言わないだ。



ただ、本人が一番つらいと言うのであれば、変わる道がある。
選択肢はあると思う。

けど「自分が正しい」「自分が理解されない被害者」だと言うのは難しい。

その言動で仕事を止めたくなる人も、もしかしたら、現場に同じようにいるかもしれない。
会社からの評価を受けていると言う人は、会社からの評価をひとつのものとして考えているからそういうのだと思う。

僕の事が嫌いな人もいれば気に入らない人もいるし、評価されてるのは、仕事なのか人間性なのか他の要因で評価されているのかもしれない。
そこで会社から自分は認められている評価されているから自分がしている事や言っている事は正しいのだ、間違っているのはお前らだと、その切り口や情報で攻撃するのは人間関係は上手くいかないと僕は考える。

ちなみに僕の考えは、会社はオーナーの物だから、何を言っても、有象無象の一社員たちがああでもないこうでもないと言い合っているだけだ。

それが社会なのだろう。

環境はそうやって作られてる。

・・

ただ、僕は、自分のカッコ悪い事や間違いを犯してしまう。
だから常々、我に帰れるように日記を書いてる。
心を落ち着かせて整理できるように、二度と同じ過ちを犯さないように気を付ける。自戒だ。

・・

変わらなくていいと思うし、変えなくてもいいと思うからどれだけ辛くても僕に聞かれたことも僕が応えきれない。

これは、二度目のブロックをしたシャと同じだ。相手にもしない。

説明不足だと思うから、仲間ではない人の話で言うと

「この辺の魚は臭いけん食べれん!」
僕 「(じゃあ食べるなよ馬鹿)」

この一言で本人は
・私は魚が好きです
・私の地元は海鮮モノや魚が美味しいです
・私は鼻が利きます

辺りを言いたいのかもしれないけど、僕から見たら
・安物の魚か、美味しい物を食べて育ってないな
・誰にも良い物や高級な店に連れて行ってもらってないんだな
・馬鹿だもんな

としか考えていない。だから、それ以降何があろうと基本的にブロックしている。適当に無視している。

人間って、一言が命取りになる事がある。
人って、自分の意に反して、思わぬところで人を気付つけて居たり怒らせていたりします。

だから
「あ、そうなん」「がんばってくださいねー」
しか僕も言う気は無いし、どうでもよすぎて視界にも入れていない。

こういう感じで、人は人から見限られたり、見捨てられるのです。

僕も同じかな。

だから、僕は何も言わない。
でも、言わなかったら言わなかったで結構な割合で人は僕に怒る。

怒る理由はそれぞれだけど、それは自分の姿言動が見えていないと思う。

僕が今必死になっている、俯瞰する力、客観視する力(立場を置き換えて、見方見え方の視点を変えて、当てはめる、合わせ鏡にして考える)事が一切できない人なのはよく理解できた。

この一年半で、僕と会話した人は、ほとんどがそれが出来ない。
出来ているのは、やっぱり僕よりも先に行っている奴らだ。

・・

最近、夜のドライブコースを変えた。

僕は今、好きな人たちに会いたいけど会えない。
会うのが怖いのだ。
こんな姿で落ちぶれている事をちょっとは知らない事実があるとはいえ、
今の僕は皆に会うのが苦しい。

そんな彼らに追いつくとこれだけ宣言して感謝してるのに、この姿だよ。

・・

晩御飯用意する為に帰ってきて、今から仕事に行くけど、どうやら世の中は今月で仕事を止める人が多いらしいね。
ボーナス貰ってやめるって事か。
ボーナスをもらったことが無い僕の人生経験から、6月といわれて
「ボーナス!」
という感覚が無いのは僕がそういう環境で育って今もいるから。

そういう話です。 再会

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