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🌟私の母は変だ。note編

◆私は、真っ暗だったあの頃の悲しい思い出を振り返っています。

1ヶ月程前からある程度文章に起こしており、アメブロでは公開していたのです。
ですが、キレイにまとめる事を考えるだけで、憂鬱でして。
多大なエネルギー消費をしてしまい、前に進むことが出来ず、今に至っています。

私のヤバイ黒歴史は、他者から見ると何て事の無い「へー、そうなんだ」的などうでも良いお話だと思うのです。
だって、私は有名人でも何でもない、ただの普通の少女ですからね!

そんな私が書き綴った思い出の記なんて、誰も気に止めないでしょう。
なので、この思い出の記を書き仕上げることを、まだ迷って震えています。

でも、私はいつでも私の一番の理解者でいたいので、他者から嫌われても良いので、勇気を出して書き綴って行きたいと思います。

◆私の母は変だ。
そこらの普通の母と絶対違う。
マジ、ヤバイ。

電話をすると、いつも父が出る。
母は私から電話が来るとソコから居なくなるのだ。
それは、いつもの事。
ずっと前からだ。

っつーか、娘から電話が来て、逃げるって異常じゃない?
と、思っちゃうんだけど💦

だからなのか、電話をかける時はドキドキする。

もしも、母が電話に出たらどうしよう。
出てくれたら嬉しい。
でも、いつも通り出ないだろう。
話すのは父だけで十分。
でも、母とも話せたら嬉しい。
でも絶対電話にでないから、そんな期待はやめよう。

そんな感情でグルグルしながら、電話をかけているんだけど。

それなのに、父はいつも「お母さんに代わるね」と言ってくる。
そして、次のセリフは
「さっきまで居たけど、居なくなったわ」。
お決まりのパターンで終話。

父のその気遣い、正直迷惑。
毎回、逃げる母にキズついてるんですけど。

私と話したくないから、いつもそうやって避けてるんでしょ?
と、思ってしまって悲しくなってくる。

◆私は母親からの愛情表現を受けた記憶がない。誉めてもらったり、優しく声をかけて貰った事もない。
私に興味をもって貰えなかった。
母はいつも不機嫌そうにしており、父と楽しそうにしてる所を観たことが無い。
元々無口で、お喋りが好きじゃない人だ。

話しかけても、ちゃんと向き合ってくれる事は無かった。

農家の仕事だったので、本当に疲れていたとは思うが「疲れた」が口癖で、いつも辛そうで不機嫌だった。
父が楽しそうに話していると、特に不機嫌になっていた。

私はすぐ下の妹といつも喧嘩していて、
泣いたり騒いだりするその声がうるさい事から、なおさら怒られた。

私は小さい頃から、とにかく否定され続けた。
顔立ちが父方の祖母に似ていたので、それも憎しみを込めた言葉で否定された。
体型は太っていたので、何を着てもみっともないと、悪く言われたので、自信がない子供になって、そのまま自信の無い太った大人になった。

怪我をして痛くても、大丈夫?と、
優しく言って貰えた事は無い。
私が悪いからだ、バカだと叱られた。

頑張っても認めてくれないし、誉めてくれない。
努力して結果をだしても、喜んでくれない。
誉めてくれないので全く努力しない人になった。
私は能力の低いまま成長していった。

小学校の運動会は一度も来てくれなかった。
父が一人で来てくれたのだ。
母はお弁当は作ってくれた。
太巻きと、さくらんぼは、必ず入ってた記憶がある。

高校の卒業式は来ないだろうと思ったけど、念のため聞いてみたら、「行くわ」と言ってくれた。
本当に来るの?
驚いた。
期待してなかったから、とても嬉しかったんだ。
でも、結局「頭が痛かった」を理由に来てくれなくて、後から泣いた。

ちなみに小学校と、中学校の時は、来てくれたのか覚えていない。

高校卒業し、就職する時は、父が車で札幌の寮まで送ってくれた。
この時、母も一緒に来た。
母がくれたタンスや鏡台、小学生の頃から使ってた机。本当は全部持っていきたかったのに、「あんな汚いのはダメだ。持っていくな」と言われて、新しいのをニトリで買ってくれた。

◆ある動画講座を見ていたら、現実を動かすのは、強烈に望む事だと解説があった。
それを見て、なぜか母を思い出した。

黒歴史のドアをノックされたようだ。
せっかくなので、恐怖のドアを開ける事にした。

私は、愛情不足の飢餓状態で成長した様に思える。
母は元々子供に干渉せず、放任主義の人だ。
そもそも大事な時に限って相手にして貰えなかった様な気がする。

大好きな存在だから共感して貰いたい。
なので、冷たくされると辛いし悲しい気持ちになる。

それでも、何とか関係はうまくいってたんだよ。
私が、母の機嫌を損ね無いように、気を使っていたからね。
でもね、1回目のあの事件の時から関係は一気に悪くなったんだ。
あの時から、ますます顔色を伺うようになった。
存在を恐いと思うこともあった。

あの事件で心が弱くなった私は、冷たい言動を取られる原因は自分が悪いから、愛される価値が無いからだと思ってしまった。
思い込みだよと、10秒スイッチを何度しても癒される事は無かった。

思い出すと本当に辛い。
あの事件の前のように、普通に話せる関係に戻りたいと強く願う。

◆本当はいつでも、気兼ねなく会いたい。
お墓でも良いので、いつでも会いに行きたい。
お墓に入った母になら、いつでも好きな時に会えるのに。
なんて、いけない事を思ったりするこの頃。

◆その後、あるブログのが潜在意識を書き換えるアファメーションを読む機会があった。

なんと!
読んだだけで
深い気づきがあった。
私が母の事で、ずーっと悩み脳内自作自演を繰り返し、浮いたり沈んだりしていた原因は、母の愛に餓えていたのではなく、優しくして貰いたかったのでもなく、「依存からの自立」がテーマだったのではないだろうか。

私は成長を拒んでいた。
いつまでも「子供」でいようとして、餓えたふりしておこぼれを要求し続けたかった。
そして自分が与える側の「母」になろうとしていなかった。
自信がなくて不安だったので、心のどこかで「母」になることを拒絶していたのだ。

今までの母に対する葛藤の日々に意味付けが出来た感じがする。

私は母としての自覚を持ち、新しい人生を生きる決断が迫られていたのだ。
だから、無意識の葛藤に悩まされていたのかもしれない。

出産して6年もたったのに、遅いわ。

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