公共の空間で騒がないのが親切として機能するという話
僕らは集中や没頭と呼ばれる状態に快楽を覚えるようにどうもできているようである。例えば音楽や読書、あるいは仕事に没頭していると、その時間は心地よいものと認識されたりする。
一方で、僕らは日々、ノイズにさらされて生きている。ノイズとは雑音、つまり基本的に集中を妨げるものというのが一般的な理解で、むしろ集中を促すものはホワイトノイズと例外的に呼ばれて好まれていたりする。逆に、全く無音の空間だと逆に落ち着かず、集中できない、なんてこともあるらしい。
ノイズだからだめなんでなく、同じノイズでも、集中を妨げるものと促すものがあるようだ。では仮に、集中を促すノイズをホワイトノイズというのに対し、集中を妨げるノイズをブラックノイズと呼んで見るとして、ブラックノイズはどのように僕らの集中を阻害するのか。
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