見出し画像

人間関係を「空気」に、人の心を「水」に例えると、どっちも絶縁体なんだよねっていう話。

 人間集団でしばしば起こるトラブルに、「わし聞いてへんぞ」問題っていうのがあります。おそらくみなさんも一度は体験したことがあると思うのですが、主催者がステークホルダーだと思っていなかった人が、実はステークホルダーとしての自己認識を持っていて、自分の決済を要求してくるというものです。

 この「聞いてへんぞ」プレイ、ありふれたものではありますが、成り立つにも条件があって。誰でもできるプレイではないんですね。

 まず前提として、「情報は自然と広く伝わるものだ」という錯覚があるんですね。だから、主催者は、関係者全体に情報は伝わっていると思っているし、関係者は、情報は待っていても届くと思っている。なんでかっていうと、これは仮説ですけど、情報が重さを持っていないからなんじゃないかと。重さを感じないから、すっと伝わると思っているんじゃないですかね。しかし、それは錯覚なんです。なぜ情報は自然と広まらないかというと、情報を回すのにもコストがかかるからです。

 例えば、電子回路のアナロジーで説明すると、空気って絶縁体の役割を果たすんよね。人間関係の「空気」ってやつも同じ役割を果たします。言いたいことが言えないのは、空気が情報に対して絶縁体の役割を果たすからですね。で、僕らの周囲には、目には見えないけど空気が満ち満ちていて、情報は基本的に伝わらない。そういうものだと思うのが、おそらくは現実に即した認識だろうと。

 ちなみに、ものすごく高い電圧をかけることで、絶縁体が破れて、本来絶縁されるはずの電気が空気中を走る場合はあります。この、高電圧で絶縁体が破れる現象を「放電」といいますが、要するに「雷」です。あれくらい強いパワーを出さないと絶縁体を超えてエネルギーが伝わるってことがないんですね。

 人間関係の間にある距離感を「空気」と表現するならば、ひとりひとりの人間の気持ちは「水」で表現できます。よく、落ち着いた心は水鏡のように風景をあるがままに写す、とか、なにか不安なことが起こると、心にさざ波が立つ、とか言いますけど、あれなんか心を水に例えた言い回しです。

 で、水っていうのは、一見電気を流す導体であるように見えますけど、不純物のない真水は電気を通さないんですね。食塩など不純物を混ぜることで、ようやく電気を流す導体になります。食塩は水中でイオンが分離してプラス極とマイナス極ができて、そこで初めて通電するようになります。

 このアナロジーで説明すると、情報はなにがしか不純な、プラスなりマイナスなりのふわふわがないと人の心の中に流れないってことなんですね。単なるデータは伝わらなくて「こうだからよい」「こうだからいけない」という価値判断が付与されている必要があるってことです。ある原因で良し悪しの結果が出る場合、この因果関係を、私たちは「物語」と呼んでいます。よく、プレゼンのテクニックで、ストーリーテリングといいますよね。こんなつらい、マイナスなことがあったけど、こういう出来事を経て、こんな立派な、プラスな私になりました、っていう。ああいうテクニックの存在は、ストーリー、つまりプラスとマイナスの極がないと僕らはうまく情報を通電できないということの裏返しと捉えられます。

 空気や真水が邪魔して情報が流れないのが当たり前であるとして、じゃあどうすれば情報は流れるのか。一番簡単なのは、物理的に接触することです。で、物理的に接触しようとすると、ここで情報の伝達にコストがかかるということがわかってきます。物理的接触のためには、物理的な移動が必要だからで、例えば相手とアポイントを取って、電車に乗って、会いに行って、というコストがかかるんですね。で、体っていうのは重さを持つ物体なので、それを動かすのにエネルギーがかかるわけです。そう、情報自体には重みがないからうっかり勘違いしがちですけど、本来空気や水といった絶縁体に邪魔されて伝播しない情報を得る、届けるには、物体を動かすためのエネルギーがかかるんです。

 とすると、情報を欲しい側は、情報を持っている側に接触をしに行くエネルギーを負担しないといけません。そうすると、より多くの有益な情報がストックされている場所に、人は集まっていくでしょう。情報は分散せず、一箇所の中心に集まっていきます。これ、前も書いたけど、都市が形成されるのと同じ事情ですね。

 で、それでは情報を持たない側は不利な話ですよね。だって、情報を得るために、たくさんのエネルギーを使わないといけないわけですから。どうにかこのエネルギーを節約できないか、と考えると、ここで、情報を持たない側の逆襲が始まることがわかります。

 ではどうするか。情報を与えられないことに逆ギレすればいいんですね。ここで出るフレーズが、おまたせしました、「わし聞いてへんぞ」です。「俺のところにお前が情報をエネルギーをかけて届けに来るのが当然だろ?にもかかわらずそれをしないということは、あるべき姿ではないので、俺はお前を攻撃する権利がある」といえばよいわけです。そうすることで、「あの人は情報を与えられないとキレる」という評判が立てば、情報をとりに行かなくても、持っている側から送り出してくれるようになると期待できるわけです。

 もちろん、情報を持っている側がどんな情報の「出し方」をするかは、やはり立場が強いので選択が可能です。会いに行かなくても、手紙で送るとか、Facebookに投稿するとか、いろんなやり方が選べますが、とにかくこの手を使えば、情報伝達コストを相手に負わせることができるわけです。

 ただし、この戦略を選べるには、キレる側にも一定の資本がないといけません。単にキレるだけでは、「あの人付き合いづらいから、距離をとろう…」と思われるだけですよね。この手を使うには、情報を持つ側が欲しいと願う資本、あるいは、この人にキレられては困ると思う程度に、なんらか重要な資本を持っていないといけないわけだ。

 例えば政府は、国民からの「わし聞いてへんぞ」というプレッシャーを受けて、情報を公開するわけですけど、それは国民が主権者であり、施政者の生殺与奪権を握っているからできることです。

 そういう資本を持つ者同士の駆け引きとして「聞いてへんぞ」というプレイスタイルはかろうじて成り立つんですね。翻れば、そういった資本を持っていないパンピーが真似できるプレイではないってことです。まあ、真似してもいいけど、怪我するか、ハブられるだけだよねと。

 とすると、情報が欲しいパンピーは、なんらか努力して絶縁体を乗り越える必要があるんですね。絶縁体を乗り越えて情報を得るためにどんな工夫をするのか。そこが工夫のしどころになっていきます。

 逆に、こういう原理があるにもかかわらず、丁寧に情報を出すコストを背負ってくれる人は、親切だってことです。仁義があります。そういう人を、どれだけ情報の受け手が大事にできるか。使い捨てにしないかっていう情報を受け取る側の仁義も、重要なポイントになってきます。

ここから先は

0字
まちづくり絡みの記事をまとめたマガジン「読むまちづくり」。 月額課金ではなく、買い切りです。なので、一度購入すると、過去アップされたものも、これからアップされる未来のものも、全部読めるのでお得です。

まちづくり絡みの話をまとめています。随時更新。

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。