だれかがくしゃみをすると、むずむずしてしまう
最近は、電車の中や、街中で目の前の人が咳をしたり、くしゃみをしたりすることに敏感になっていると聞く。
でも、私は、それとはまったく異なる理由で、くしゃみをしている人を見ると、むずむずしてしまう。
それは、イタリア留学中にできた習慣のせいだ。
イタリアでは、くしゃみをした人には、知らない人でも、Salute!(サルーテ)と声をかける。英語だったら、bless youかな。saluteは、乾杯するときにも口にする言葉だが、直訳は「健康」。「健康でいられますように」ということだろう。
このくしゃみの場合のsaluteを日本語に意訳するとしたら、「お大事に」とか「大丈夫?」とかになるのだろうけれど、日本では知らない人にまでわざわざ言わない。くしゃみを一回しただけで、「お大事に」はおおげさだし、「大丈夫」なのは見ればわかる。
私は、この日本にはない、saluteと声を掛け合う習慣がとても好きだった。
図書館で、一人で勉強しているときも、くしゃみをすると、隣にいる人や向かいに座っている人がsaluteと言ってくれる。
くしゃみをするたび、なんとなく温かい気持ちになった。
自分が言われると嬉しかったから、私もだれかがくしゃみをしたときには、saluteと言うようにした。でも、習慣にない言葉は、なかなか咄嗟に出てこなかった。何度もタイミングを逃してしまうことがあった。だから、ちょっと練習したりもした。
練習の成果もあってか、くしゃみをした人がいると、瞬時にsaluteという言葉が出てくるようになった。
saluteというと、みんな少しはにかんで笑った。普段は大口を開けて笑う彼らが、はにかんでいるのはちょっと新鮮でかわいかった。
帰国してから、かなり経つけれど、いまだにくしゃみをした人がいると、saluteと言いたくなってしまう。でも、ここは日本なので、saluteと言ってもだれもはにかんではくれないだろう。
だから、だれかがくしゃみをしたとき、私は心の中で、saluteと唱える。
今くしゃみをした人が、この先も健康でいられますように、と祈りながら。