いつだって、甘やかしごはんだった
対面キッチンのある食卓は、実家の東側の一番大きな部屋にある。
食卓に朝日が差し込む前に、支度をはじめるのは、父だった。
私が起きる頃には、すっかり朝の支度は整っている。私は寝ぼけたまま、食卓につき、目の覚めるようなおいしさの朝ごはんを口にして、私の一日が始まるのだ。
父が平日の朝につくるものは、ほとんど決まっていた。
具だくさんのおみそしると魚の塩焼き。鮭とカツオの塩焼きの出番が多かったが、カレイやサバ、ホッケ、サンマ、メバル、メヒカリなどいろんな魚が食卓に並んだ。
ねぎの入っただし巻き卵か、ふわふわのオムレツは、お弁当のおかずとあさごはんの兼用。
お弁当用のおかずには、豚肉の生姜焼きか、鶏肉の照り焼き。
サラダは、生野菜をただ切っただけのときもあれば、ときどきイカとペンネのサラダや、ポテトサラダのときもあった。
私は、毎朝、時間がなくとも、ごはんをおかわりしていた。
お弁当のおかずは、代わりばえしなくとも、おいしかったから、飽きることはない。
休日の朝には、カレー、ビーフシチュー、豚の角煮、ブリ大根、筑前煮など、手のかかる料理の香りが、2階の寝室まで漂ってくる。休みの日は遅くまで寝ていたい私だったが、おいしそうな香りに誘われるように、階下へと降りていく。
しかし、休日の朝に起きても、食卓のカーテンが閉め切られたまま、何の用意もされていないこともよくあった。
父は、寝坊したのではない。朝日が昇る前に、家を出たのだ。
父が向かう先は決まっていた。
海である。
父は、バカがつくほどの釣り好きで、冷たい雨が降っていたとしても、こういう日は釣れるんだと揚々としていた。
魚が釣れようが、釣れまいが、釣りの帰りには、海辺の魚屋で安い魚を大量に買ってくるから、休日の夜は魚料理が並ぶ。
何度かいっしょに釣りに連れて行ってもらったが、私は釣るよりも食べるほうがはるかに好きだ。
特に私が好きなのは、メバルの煮付け、ぶつ切りのメカブ、コウナゴのお吸い物、カレイの塩焼き、メヒカリの塩焼き、ヒイカのお刺身、茹でたてのワタリガニ、ふわふわに煮たアナゴ、塩とイカだけでつくる塩辛、一本まるごと買ってきたブリやカツオを父がさばいたお刺身、アンコウのともあえ、アワビの肝、マンボウの酢味噌和え、生牡蠣、生ウニ…
そろそろ実家に帰りたくなってしまうから、このくらいにしておこう。
料理が上手なのは、父だけではない。
母も、料理が上手だ。
毎晩、夕飯は母がつくる。
母の得意料理は、ハンバーグ、からあげ、ヒレカツ、ホロホロ鳥、酢豚、春巻き、餃子、シュウマイ、八宝菜、チャーハンなどの肉料理や、中華料理。
母の料理は、ものすごく手早い。
おなかの空いた私たちをほとんど待たせることなく、ちゃちゃっと作ってしまうのに、どれも丁寧な味がした。
「味見、味見」と言いながら、たくさんつまみ食いする母が好きだった。
ふくふくした母が、おいしいよ、と言いながら出してくれるから、食べる前から心が満たされる。
我が家の愛情の示し方は、料理だったのだと思う。
いろんな愛情の示し方があると思うが、我が家の場合は、たまたまそれが料理だった。
私の好きなマンガ『3月のライオン』には、「甘やかしうどん」というメニューが出てくる。受験生の妹のひなたのために、姉あかりが夜食としてつくるそのうどんには、天ぷらとおあげの「おいしいもの」がダブルでのっている。
おいしそうなものがたくさん出てくるこのマンガの中でも、一際おいしそうなこのうどんを見ると、私も甘やかされた~いと思うのだが、ふと我が身を振り返ってみると、私が毎日食べていたごはんは、私や妹の好物ばかりが並ぶ甘やかしごはんだったのではないか、という事実に思い至る。
甘やかしごはんばかり食べていたから、こんな甘ったれに育ってしまったのかもしれない。
だけど、いつだって、家に帰れば、甘やかしごはんが待っていたから、私はなんとか生きてこられたんだと思う。
学校や仕事に行きたくない朝も、父のつくったごはんを食べたら、がんばろうと思えた。
仕事がつらくて、パソコンや書類の陰に隠れるように、泣きながら食べた昼もあった。それでも、いつだってお弁当はおいしかった。
にこにこした母のつくる夕ごはんを食べているときは、どんな一日だったとしても、自然と笑顔になった。
みんなが甘ったれになったら、世界がまわらなくなってしまうかな。
でも、大人だって甘えたいときがある。
少しくらい甘やかす場所があってもいいじゃないかと、私は思うのだ。
私が実家を出た夜、母は、私からの手紙を見つけたらしい。
母は、泣いたと言っていた。母を泣かせるために書いたのだけど、いざ泣いたと言われると、私も鼻の奥がツンとした。
私が、家を出てから数日後、義母から電話があった。
私の父から、夫の実家に手紙が届いたという。
義母は、これは、ももちゃんも読んだ方がいいわ、とその手紙を読み上げてくれた。
父から、私の義父母への手紙には、父のこれまでの人生や、私をどんなふうに育てたのか、私がどんな子なのかが綴られていた。父の文章を読むのははじめてだったから、最初は少し気恥ずかしかったが、読み進めてもらうにつれて、胸の奥がじんわりと熱くなった。
父は、「娘のことを少し甘やかしてしまいました」と書いていた。
私は、少し自分を恥じる。
だけど、そのあとに、父は「たくさんの愛情を受けて育った娘は、人のきもちを想える優しい子です」と続けていた。
家を出てからひと月。
父と母のごはんを食べ続けていた私は、家にいる間、ほとんど料理をしなかったから、ものすごく手際が悪くて四苦八苦している。
だけど、私がつくる料理からも、ときどき、父と母の料理の味がする。
その味を、夫がおいしいと言ってくれたとき、私はこの味を、そして目の前にいるこの人を大事にしようと、そっと誓う。
自分で料理をするようになって、父と母がどれほど手間をかけて料理をつくっていたのか、わかるようになった。
どれほどの愛情をかけて、私を育ててくれていたのかも。
私は、まだ、父や母のように料理上手ではない。
だけど、夫はいつも「今日の夕ごはんは何かな」と楽しそうに帰ってくるから、私もなかなかの甘やかし上手になれているような気がする。
今回は、だいふくだるまさんの「#愛について語ること」という連載の、美しく、芯のある文章に触発されて、料理への愛を綴ってみた。今月は、新しい生活に慣れることを第一の目標としていたから、自然と料理に力を注ぐことになったが、今度は芸術への愛も語ってみたい。
「愛」という言葉は、日本人にとって、照れくさいような、少し重く感じる言葉かもしれない。
philosophia(ギリシア語で「智を愛する」の意)が、日本語の「哲学」(哲は「知恵」の意)になる過程で「愛」を失ってしまった(西周ははじめ「希哲学」と訳したけれど)のだと、イタリア人の先生は言っていた。
そのときは何も言えなかったが、「日本人にも、愛はあります」と胸を張れるように、私も真摯に大切にしたいものへの愛を語ろうと思う。