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気づけば、「あのころ」ができていた

あのころ、ぼくらは。

というような語り出しの歌詞や物語を、どこか白々しく思っていた。


まだ、私には「あのころ」といえるような過去がなかったのだと思う。

あのころはよかった。
あのころは幸せだった。

「失われた10年」と言われる時代に生まれ育った私は、大人たちがそんなふうに語っているのが日常だった。

過去の栄光に縋っているようでかっこ悪い。
いつまで「あのころ」に固執しているんだろう。
そんなふうに思っていた。



でも、気づけば私にも、あのころは幸せだったなと思える過去ができていた。

いまも幸せだけれど。

いまとはちがう幸せが「あのころ」にはあって、それはもう二度と戻ってこない。


「あのころ」は、一つではない。

大学生の頃もそうだし、留学していた期間もそうだ。


でも、いま思い浮かべているのは、高校時代のこと。

私は、高校生の頃、とてもすてきな友人に恵まれた。


そのことは以前書いたが、私の親友はohanaちゃんだけじゃない。
大学まで一緒だったのは、ohanaちゃんだけだが、私は高校生の頃、私とohanaちゃんを含む7人グループで行動していた。

ohanaちゃんについて書いたとき、こんな友人がいるなんて羨ましいと読んでくださった方々を羨ましがらせてしまった。



たぶん、今回も羨ましがらせてしまうと思う。


私は、いまも優しい人たちに囲まれて幸せだが、高校生の頃の私は恋愛をしていたわけではないけれど、超リア充だった。
右をみても、左をみてもかわいい子たちに囲まれていた。


7人グループというと、多いと思うだろう。

だが、不思議と多くないのだ。

7人でいるのが自然で、だれと話しても楽しい。

私は、学校に行くのを毎日楽しみにしていた。


お昼ご飯は、いつも7人で食べた。
テーブルをくっつけて、昼休みが終わるまで、話し続ける。

毎日会っていても話がつきることはなかった。

みんな天使みたいな人たちだった。

・明るくて、優しくて、話をするのも聞くのも上手なAちゃん。
・仏か、といいたくなるような笑顔をいつも浮かべているKちゃん。
・天使のように微笑む、お笑いと食べることが好きなSちゃん。
・ユーモアとかっこよさとかわいさを兼ね備えたTちゃん。
・穏やかにみんなの話をききながら、チャーミングな笑顔を浮かべるCちゃん。

そして、ohanaちゃんと私の7人。

喧嘩するほど仲がいいなんて言葉もあるけれど、私はだれとも喧嘩したことがない。

喧嘩しようと思ってもできない穏やかな人たちだ。

みんな優しくて、ちょっとお花が飛んでいるというか、ほわほわしていて、一緒にいると幸福な気持ちになれる人たち。

だれかが悩んでいるときにも、ほかの6人が受けとめてくれるから、安心感があった。


私は、この人たちと釣り合うほど、性格がよくない。
人の嫌なところを見てしまったり、自分から関係を断ってしまうこともある冷酷な人間だ。

でも、この人たちといるときは、私は私の一番いい面をずっと出していられた。

みんなが優しいから、自然と自分も優しくなれた。

それは、自分を偽っているわけではなく、自分が自分のままでいられる感覚だった。


みんな言葉や表情で感情を伝えるのが得意な人だった。
私は、みんなほどは得意ではなくて、言葉を紡ぐのに時間がかかるし、表情も乏しい。
でも、みんなは、焦らせることはなくて、言葉を紡ぐのを待ってくれる人たちだった。

私は、普段言葉や表情にできないぶんを、絵にすることもあった。

私が、誕生日にカードを描いたりすると、みんながそれをすごく温かく受け止めてくれた。

私の創作活動を最初に応援してくれたのはこの人たちだ。



一昨年、みんなで集まった。

実を言うと、私はみんなに会うのが少し怖かった。

SNSでみんなの近況を知っていたけれど、みんな公私ともに充実していて、とてもキラキラしていて。
眩しかった。

そのころの私は、一番沈んでいたときよりは回復状態にあったけれど、夢に破れて、また夢を追いかける気持ちは沸き起こってこない。
そんな状態だった。

高校時代の私を知るみんなの目に、いまの私はどう映るんだろうと怖かった。
みんなを羨んで、嫉妬してしまうんじゃないかと不安だった。


でも、みんなと会って、正直に話した。
ずっと夢だった学芸員の仕事はやめてしまって。
いまは博物館の非常勤と大学の非常勤を兼任していて。
来年からまた勉強したいから、大学院に入ろうと思っていて。

自分で話しながら、私は何をしたいんだろうと思いかけたとき。

「ももちゃんは、ずっとブレないね。軸がしっかりしている。」
とAちゃんが言う。

みんな、うん、うんと優しい顔でうなずいてくれる。

いや、私はブレブレなんだよと口元まででかけたけれど、みんながそう思ってくれているのに否定する必要はないと思った。

みんながそう思ってくれているだけで十分だった。


そして、Kちゃんが、手帳をびりびり破いて、私に紙とシャープペンを寄越す。
私が、ぽかんとしていると、「ももちゃんに、みんなの顔を描いてほしいな」という。
それを見たら、きっと元気になるからお守りにしたいんだ、と言って。

私は、みんなの顔を描いた。
みんなの顔なんて見なくたって描ける。
何度も描いているのだから。

描き終わってKちゃんに渡すと、高校生の頃バースデーカードを渡したときと同じ顔になる。
私が「変わらないね」と言いかけたとき、みんなが「変わらないね」と私に言う。
「あの頃のままのももちゃんの絵だ」
とみんなが絵を回して、口々に言う。

いやいや、ちょっとは成長しているでしょ、と言いたいところだけど、変わらないものもあってもいいよねと心の中で思う。


帰り際、みんなに「またね」というとき。
「また明日ね」じゃないのが寂しくて。

「また明日」と言えていた頃に戻りたいと一瞬思った。

でも、戻りたいと思える「あのころ」がある「いま」も、しあわせなのだと悟った。



最近、みんなにもnoteのページを教えた。

ももちゃんが絵本を描いたときは教えてね、と言ってくれていた人たちだから。

みんなに絵本を読んでもらうのは緊張した。
でも、みんなは、きっと喜んでくれるという確信があった。

予想通り、みんな喜んでくれた。

Kちゃんは、破った手帳に描いた似顔絵とともに、私が高校生の頃に描いた絵を一緒に写した写真を送ってくれた。
「全部とってあるよ。ももちゃんが描いてくれた絵は、全部宝物だよ。」というメッセージとともに。

私は、泣いた。
あんな紙切れ、すぐに失くしちゃったっておかしくないのに。


そして、ohanaちゃんに引き続き、Sちゃん(=shizukaちゃん)も、昨日noteに投稿してくれた。

とっても素敵な投稿だ。
私は、shizukaちゃんに会えたら、もうそれだけで笑顔になれる。
shizukaちゃんの笑顔を見てみてほしい。
天使そのものだ。

エプロンを纏ったこんなかわいいshizukaちゃんに、こんなおいしそうなごはんをつくってもらえる旦那さんが羨ましくて仕方ない。

また、ohanaちゃんについて書いたときのように、ジェラシーが沸き起こってしまいそうだからこの辺にしておこう(笑)

いつかshizukaちゃんのごはんも食べてみたいし、一緒に作るのも楽しそう。


いつかみんなを招いてパーティーができたらいいな。


そして、時間を忘れるくらい話したい。

あのころ、のように。








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