心に風をとおすノート
10月になって、また大学の授業が再開した。
10月は、再開の月。再開の月にちなんで、最近ふたたび始めたモーニングページを紹介したい。
モーニングページというのは、ジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい』で提唱されているもので、毎朝ノートになんでもいいから3ページ書きつづけるというものだ。本に書かれていることをとりあえずやってみるのが好きなので、その本を読んでから、3か月くらいはつづけたと思う。市役所で働いていた頃のことだ。でも、だんだんと自分の感情と向き合うことが辛くなって、心に蓋をするようにノートを閉じた。
懐かしいな。もう3年も前のことなんだ。
秋って郷愁に浸ってしまう。
10月はたそがれの国。
再開したはいいが、だれに見せるわけでもないので、このノートは凄まじいことになる。
どのページも、真っ黒だ。
文字をたくさん書き込んでいる、という意味ではなく、腹黒い、どす黒い感情が渦巻いているという意味である。
書くとすっきりする反面、自分の本当の感情に気づいてしまう。キーボードを打つときとはちがう、ありのままの感情が文字に、言葉に変わっていく。
飾ることなく文章を書くことを心がけてはいるけれど、普段の文章は人に見られることをどうしたって意識してしまう。
私ってこんな人間なんだ、と思う。
ちっぽけだな、と思う。
でも、心の中にどろどろを抱えているより、ノートに書き出すと、心の中にすーっと風が吹き抜ける気がする。
とはいえ、書き出してもなお、どろどろ渦巻いていることもあるし、書き出すことでそれが溢れ出してしまうこともある。三年前の私はそうだった。
だから、モーニングノートを書くことを、勧めはしない。合う人も合わない人もいると思う。
でも、私は、しばらく続けると思う。ノートを書いていることで、またやりたいことがいくつもみつかったから。
それにしても、自分の心の醜さはどうにかならないものだろうか、と思う。
ところが、昨日、1冊の絵本がそんな私の心を癒してくれた。なにかに悩んでいる私のことを、妹が心配してくれていて、プレゼントしてくれた。あんまり考えすぎないほうがいいよ、と言いながら。
まさか姉が自分の心の醜さに打ちひしがれていた、とは思っていないだろうけれど。
プレゼントしてくれた絵本は、ヨシタケシンスケさんの『あつかったらぬげばいい』だ。
ヨシタケさんの絵本はいくつか読んでいるけれど、かわいらしい絵とやさしい言葉なのに、偏った見方になってしまっていることを気づかせてくれるすごい絵本ばかり。私は、天邪鬼なところがあるので、あまりに人気すぎると、一歩引いてしまうことがあるけれど、人気なのにはもちろん理由があって、ヨシタケさんの絵本は本当にどれも素敵だ。
『あつかったらぬげばいい』はタイトル通り、困ったときにどう対処したらよいのかアイデアをくれる。
なかでも、私が気に入っているのが次の一節だ。
ひとのふこうを ねがっちゃったら
なみうちぎわに かけばいい
ーヨシタケ・シンスケ『あつかったらぬげばいい』白水社、2020年
この場面のイラストでは、サラリーマンが、波打ち際の砂浜に傘の先で文字を書いている。
書いている文字は、なんと「しね」だ。
いやいや、絵本でそれはないだろう、と思う人もいるかもしれないけれど、私はくすっと笑ってしまった。
きっとこのサラリーマンは、本当にしんでほしいとは思っていない。
でも、どうしようもないくらい、嫌な感情に飲み込まれてしまうことは大人にだってある。
でも、それを口にしたり、誰かにぶつけてしまったら、誰かが傷ついてしまう。
そうではなく、だれも傷つかない方法を選んだのだと思う。
私のあの真っ黒なノートも、なみうちぎわに書くようなものだろう。
醜い感情も、それをぶつけなくてすむように、溢れてしまわないうちに、私は明日の朝もノートに綴る。