見出し画像

私の好きな視点。

先日「ホームスタート」という子育て支援を知った。
ホームスタートの概要としては6歳未満の子が1人でもいる家庭に、研修を受けた地域の子育て経験者が訪問する「家庭訪問型子育て支援ボランティア」と言うようなもので元々はイギリスで始まったらしい。

2~3か月間、週1回、約2時間、訪問し、「傾聴」したり、育児家事や外出を「一緒」にするなどの活動をする。

「外出しづらい」
「頼れる人が身近にいない」
そんな子育てをしている家族をボランティアが訪問して、その親子と共に過ごすことで子育て中の親の心を支えたり、時には子どもも一緒に公園などに外出する中で地域の子育て支援や人と繋がるきっかけづくりもするそうだ。

私はこの中の「一緒にする」というのと「地域に繋げる」というところに魅力を感じた。

私の好きな作業療法的視点

私はいわゆるリハビリテーション専門職と呼ばれる「作業療法士」と言う資格を持っている。持っているだけで今まで病院で働いたこともないし、「作業療法士」として働こうと思った事もない。作業療法の理論は大好きだし、拒食症から回復するうえでとても助けになり感謝しているけれど、作業療法士になるために資格を得たのではない。作業療法の学校に通ったのは自分が今より少しハッピーにとか少し楽に生きれるための手段であって過程だった。ただ、作業療法士としての私「も」生活や仕事で役立っている。

「リハビリテーション」という言葉は日本では医療・介護の分野で使われることが多いけれど、海外では医療・介護だけでなく様々な場面で「リハビリテーション」という言葉が使われている。

例えば、すごい古い時代だけど、ジャンヌダルクはイギリス軍の手におちて宗教裁判の結果「異端である」との宣告を受け破門され火あぶりの刑となったが、その25年後再審が行われ、まず「異端である」という宣告と破門が取り消された。この裁判は伝記などで「リハビリテーション裁判」と呼ばれている。無実の罪の取り消し、破門の取り消し、名誉の回復など、全人間的な名誉や尊厳の回復にかかわる事をリハビリテーションとしている。他にもいったん失脚した政治家の「政界復帰」を「その政治家がリハビリテーションした」と使うこともある。

こんな風に本来のrehabilitationという言葉の語源に立ち戻ると、re→「再び」 ~ation「~する事」 そしてその間の「habilis」は「適した」とか「ふさわしい」という意味で、リハビリテーションは「再び適した状態にする」とか「再びふさわしいものにする」という意味になる。リハビリ=訓練、運動ではなく、訓練や運動はあくまで1つの手段であって、医学で言われるリハビリテーションの本来の意味はその人がたとえ病気が治っても治らなくても「その人らしく生きる権利を得る」という意味だと私は理解してる。

作業療法は英語でOccupational therapyと呼ばれる。Occupationの語源である「occupy」には「従事する」「占める」「費やす」「用いる」などの意味があって、人がその人らしくある為に物や時間、場所などあらゆるものを精神的・物理的に占め費やすこと、人としてあるべき場所にあるがままに収まる事を意味している。

作業療法の「作業」はヒトの生活や一生を構成する様々な行為、全てのことを指していて、手作業のようなものだけでなく、食べることも寝ることも遊ぶことも働く事ことも「作業」と呼ぶ。

その人、1人1人にとって大事な作業はみんな違うし、その作業の意味も違ってくる。

人の生活はそんなその人にとって大切な作業の連続で成り立っている。どれか1つの作業が欠けても健康のバランスが崩れることもある。

みんなそんな作業を日々営み、繰り返し、積みかさねる事でその人らしい1人1人違う人生が紡がれていく。そしてそんな作業を通して自分の役割なども見出していく。普段は何気なく朝起きて、着替えて顔を洗ってご飯を食べて‥
とか無意識にしていることも、思わぬ「やまい」や外的環境も含む「しょうがい」や「老い」によって当たり前にしていたことが突然、支障をきたし人生のつむぎにほころびを生むこともある。予期せぬ、「やまい」や「しょうがい」により、今まで当たり前のように出来ていた現実生活との関係を閉ざされ、周囲の人たちや仕事など今までの自分の生活の世界の物や出来事とのかかわりを失う。時には精神疾患のように心ここにあらずのような、自分の身体との関係まで危うくなる事がある。

作業療法士は「ヒト」と「作業」と「環境」の3つの視点をもって、なんでその営みに支障が生じたのか、その人にとってその営みにはどんな意味があるのか、どう工夫したらいいかなどをその人と一緒に紐解く。そして作業療法はそんな日々の「作業(生活行為)」という手段を用いて五感を通し、「いま、ここ」にある自分を確認しながら周りとの関係を回復していく。

今の時代、自分がかかっていなくても、コロナウイルスによる「しょうがい」により色んな人の日々の営みやバランスが変わり日常生活に支障が出ているのではないだろうか。そんな風に何かの外的環境の要因で日常生活に支障が出ている時にも作業療法の理論は役立つこともある。

ついつい作業療法の考えが好きで長々書いてしまってけれど、リハビリテーション職は本来、その人自身が持っている力などを引き出すことも役割の一つだ。

その時に「一緒に」と「繋げる」はとてもキーワードのように感じ、今回ホームホスピスの話をきっかけに作業療法の事を振り返りたくなった。

私にとっての作業療法士

私は何回か書いているように摂食障害と共に生きている。10年前、自分のほとんどが摂食障害に占められていた頃から今、それなりにそこそこhappyで自分らしく回復できた過程には色んな作業があった。

そこのキーワードもやっぱり
「一緒にする」と「繋げる」だった。

入院生活中の誰とも話さず無心に日記を書いたり、折り紙を折る作業を通じて自分と対話する時間、専門学校に通って勉強に没頭する作業を通して食べ物から気を紛らわす時間、日々に何気ないお風呂の時間や散歩の時間、それぞれの時間・作業に意味があって本当はそこから回復は繋がっているけど振り返ると膨大な量になってしまうから今日はやめておこう。

ある程度、摂食障害の症状が少なくなり拒食まではいかなくなり少ないながらも食べれる、自分の心と頭がすべて拒食症で埋め尽くされている訳でもなく、楽しいとか悲しいとかの感情も戻って来て半分くらいは学校のことや勉強のこと、友達のこととか色んなことを考えられるくらいにはなっていた、5年前、私は人生で初めてボルダリングに出会った。

この少し前から私は専門学校以外の居場所が出来ていた。

学校の実習先の施設で出会った社長さんに勉強会に誘ってもらいその勉強会で出会った面白い大人たちとの「つながり」だ。この人との「つながり」が出来てから各段と回復のスピードが速まった。
この頃の私は身長163センチにして35キロというガリガリな学生で食べ物も食べれない日や野菜しか食べれない日がほとんどだった。

それでも勉強会で繋がった大人たちは食べれなくてもいいし途中でしんどくなったら抜けていいから飲み会においでとか地域のお祭りやいろんなイベントに誘ってくれた。

今までほんとはヒトとの繋がりや温もりを求めていても食べられないからとか、もししんどくなって途中で帰りたくなったら申し訳ないからとか食べれなくてノリが悪いとか思われて嫌われたら嫌だからとか色々思って誘い断っていた。それなのにそんなことどうでもいいくらいいざ参加すると普通にみんな接してくれた。

そんな中、目の見えない人と一緒にランニングを毎週してるんだけど来ない?と誘ってくれた人がいた。私は身体を動かすのが好きだし、パラスポーツにも興味があったし何よりその大人たちと関われるならなんでも楽しくて子犬のようについていった。

私にとって「ランニング」や「勉強会」という作業も好きなことだし興味もある事だったけれど何よりその大人たちと「一緒に」いることことが「安心できる場」という大事な作業の意味を持っていた。

そんなランニングにいつものように行った帰り、今からボルダリングに行くんだけど行く?と誘ってくれた2人の大人がいた。

この2人は事あるごとにさりげなく相談に乗ってくれたり、私より私のことを知っているんじゃないかと思うくらい私が悩みに悩んで自分の殻にこもろうとしているくらいに最近元気?と連絡をくれたり、何に自分が困っているかわからない時も取り留めなく話す私の言葉に対してゆっくりゆっくり言葉一つ一つを聞いてくれて思考を整理してくれるスーパーマンだった。
今思うとこの2人は「高栖望」という人の特性を存分に生かして、私にボルダリングという作業を通して居心地のいい場を調えて私が私らしく生きれるような作業療法をしてくれた。

人見知りという私の特性、でも自分から話しかけるのは苦手たけど話しかけられれば誰とでも話せる私の特性、人のぬくもりに飢えてる私の特性、体を動かすことが好きな私のことを知っている2人は、最初はさりげなく、「のんちゃん今日行くのー?」とか「今日行くけど来る?」とかさりげなく聞きながら、時間を合わせて「一緒に」きてくれた。そして、常連さんの多い時間帯に連れて行ってってくれて常連さんの輪の中に「一緒」にいれてくれて色んな人と「繋げて」くれて常連さんもだんだん私の顔を覚えてくれた。

そもそもその2人が先にボルダリングを始めていて色んなジムに行ったあと1番お客さんがフレンドリーなジムに通い、常連さんと仲良くなってから私を誘ってくれたタイミングもさすがだと思う。

そうやってそのうち、「2人がつれてくる女の子」から、みんなが「のんちゃん」と「私」を認識してくれて、いつの間にか2人がいない時も行ってみようと思えるようになっていた。

はじめて1人でボルダリングジムに行った日は、ドキドキだったけれど、ドアを開けた瞬間「のんちゃん、こんばんは!今日は1人なの?」と常連さんが話しかけてくれた時はうれしくて今でも覚えている。
そのうち、そのジムの中で行われるパーティーに参加したり、だんだん常連さんとも仲良くなって、ボルダリングだけでなく飲みに誘ってくれる人や古着屋巡りに連れて行ってくれる人、旅行に行ったりと、居場所がいっぱいできてボルダリング以外にも色んな居場所が出来た。

今、思えばボルダリングを始めたタイミングもとても絶妙で専門学生もあと3か月で卒業という時期だった。私が何か1つのことにのめりこみやすく、のめりこむと周りが見えなくなること、それが長所でもありそれが原因で摂食障害になったことも知っている2人は私が社会人になってすごく思い入れがある職場、そして大好きな本来の作業療法の理念に通じている仕事だからこそ、仕事にのめりこみすぎる事を心配してボルダリングという居場所を提供してくれたんじゃないかと思う。

ボルダリングに出会ってなかったこと考えるとすごく恐ろしい。きっと仕事に明け暮れ、何か悩みがあっても勉強会の繋がりの人も結局仕事で繋がっている人なのできっと1人で抱え込んでいただろう。

今、仕事と全く関係ない人の「つながり」がある事はすごい大きい。
ボルダリングを勧めてくれた2人は色んな理由でボルダリングを辞めてしまった。

時たま、それって私の為に身をひいてくれてしまったんじゃないかと思ってしまう事がある。

2人に依存しすぎしないように。

そのくらい色んな「繋がり」ができ始めたころに2人はやめた。

いつの間にかその2人に相談するのは究極、困った時だけになっていた。

あるドクターが自立とは依存先を増やすことと話していた。

https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_56_interview.html

病院では「リハビリ依存」という言葉があるが本来リハビリはやってもらうものではなく自分らしく生きるための回復過程。その人らしく生きられるためにどうしたらいいかは一緒に考えるけれど行動していくのは自分だ。ボルダリングを誘ってくれた2人は私にたくさんの依存先を作ってくれて2人だけに依存しないようにしてくれた。依存先、安心できる場が増えたら自然とやってみたい事もふえた。自然と食べられるようにもなった。自然と自分からいろんな輪に入れるようになった。

この2人が初めに「一緒に」ボルダリングをして、人と「繋げて」くれて「安心安全」な場が出来たからこそ私は今、いろいろなことにチャレンジ出来たり、色んな居場所が出来た。

私もそんな風に一緒にいて安心感を感じてもらえる人になりたいし、その人が輝けるような「人と人」だったり、「人と場」を「繋げられる」人になりたい。

読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。