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湯治場を沸かす郷土愛〜1200年の歴史を誇る肘折温泉で生きる人々に触れて〜

※本記事は、宣伝会議第47期「編集・ライター養成講座」の卒業制作として作成しました。6000字とボリューミーなので、時間のない方は「肘折を愛する人たち」だけでも読んでみてくださいませ。


東京から3時間半、山形新幹線の終点・新庄駅から村営バスに揺られて1時間弱。出羽三山の主峰、月山の麓に抱かれる肘折温泉街は、県道号線から肘折希望大橋を抜けた先にある小さな温泉街だ。


2012年に肘折戸沢道路が崩落し、新しい橋が作られた。この肘折希望大橋を通らないと隣市へのアクセスは難しくなる。この橋は、その名の通り肘折とその他の地点を結ぶ架け橋になっている。


長年、湯治客を癒やし続けてきた肘折温泉だが、観光客の数は年々減少傾向にある。ピークの平成4年度には年間約21万3千人もの観光客が訪れていたのに対し、昨年、令和4年度の観光客数は約6万3千人に留まっている。

また、肘折温泉が位置する山形県大蔵村は人口3100人の小さな村で、令和元年の65歳以上高齢者人口の割合は38.7%と、人口の高齢化が進んでいる。国立社会保障・人口問題研究所における人口推計では、今後も人口減少と高齢化 が続くものと予想され、令和12年には高齢者人口が生産年齢人口を上回り、高齢化率は47%を越すとの推計結果が出されている。(大蔵村過疎地域持続的発展計画より)

こういった肘折温泉や大蔵村の現状を受け、湯治場に生き、湯治場を守る人々は何を感じているのか。

取材協力者
そば処寿屋 早坂隆一さん
カネヤマ商店 須藤和彦さん
若松屋村井六助 村井美一さん
ほていや 斉藤栄輝さん
丸屋旅館 八鍬克利さん
大蔵村産業振興課 横山鳳夫さん

古くから湯治場として栄えてきた肘折温泉

多いときには4mを超える積雪を記録することもある肘折。こうした雪の中でも温泉の配管の清掃などは、旅館の若旦那等で構成される温泉組合が行う。オレンジ色の作業着を着ているのが温泉組合の人々。

肘折温泉は2007年に開湯1200年を迎えた歴史ある温泉だ。西暦807年、平安時代に、全国の霊峰をまわっていた豊後国の源翁という老人が、ある一人の老僧に教えられ、「上ノ湯」を発見したのが肘折温泉の始まりと言われている。「肘折」という名の由来は、その老僧が肘を折って苦しんでいる時にこの「上ノ湯」に浸けたところ、たちまち傷が治ってしまったという言い伝えからだそうだ。

この言い伝えで老僧が浸かったとされる湯は共同浴場「上ノ湯」として現存している。泉質はナトリウムー塩化物・炭酸水素塩温泉、骨折等外傷の他に様々な症状に効果のある温泉だ。温泉マニア垂涎モノの源泉掛け流し。

現在は、二十軒の旅館、五軒の商店が軒を連ねる小さな温泉街。村山・最上地方を中心とする県内の人々が、農閑期に長期滞在し、体を休める湯治場として古くから栄えてきた。四月から十一月の期間には、毎日朝市が開かれ、朝五時頃から、街は賑わいを見せる。また、冬期間には多い時には4メートルを超える積雪を記録する豪雪地帯でもある。こうした厳しい気候風土だからこそ、四季折々の自然風景は美しい。自然も、人々の営みも、今なお日本の原風景を残す古き良き湯治場、それが肘折温泉だ。

4月20日から11月上旬の毎日、朝5時ごろから開かれる朝市。朝市組合のお母さん方の手作りのお惣菜や野菜、果物、キノコなど、季節に応じて様々な品物が並ぶ。


湯治場に新しい風が吹く

筆者は、大蔵村に隣接する市、新庄市の出身で、小さい時から肘折温泉のことは知っていた。今年の夏に帰省し、肘折温泉を訪れた際、旅館に貼ってあるポスターを見て衝撃を受けた。そのポスターには、肘折温泉の全旅館と商店、飲食店や観光スポットがぎゅっと詰め込んで描かれており、まるで肘折の街が丸ごとミニチュアになったような印象を受ける。

遠くからでも目を引く肘折温泉の新しいポスター。多層構造に再構築された肘折の町からは、改めて建物一つ一つの味が感じられる。

このポスターを見たことが、私にとって、「あの山奥の肘折温泉にいったい何が起きているのだろう?」と考えるきっかけになった。そうして、何度か足を運ぶうちに、肘折温泉の新しい取り組みには、肘折青年団のメンバーが深く関わっているということが分かってきた。

そこで、ポスターの刷新をはじめとした様々な取り組みについて、そば処寿屋を営む早坂隆一さん、ほていや商店を営む斉藤栄輝さんにお話を聞いた。

早坂「ポスターを新しく作るときに、初めは印刷会社に頼もうっていう話になっていたんですけど、そうするといわゆる“普通の”ポスターができちゃうなと思って。それはちょっとな、ってことでポスター製作委会を発足して、話し合いを進めていきました。」

早坂隆一さん
「“とうしば”から“とうじば”に帰ってきたんだってことに、つい最近気付いたんですよ」と笑って教えてくれた。なんだか運命的で、不思議な偶然だ。

早坂隆一さん(45)=夏のイベント「ひじおりの灯(ひ)」の実行委員長や肘折青年団の団長を務める人物。大学院を卒業後、東芝ソリューション株式会社(現・東芝デジタルソリューションズ株式会社)にシステムエンジニアとして勤務。その後、家業の蕎麦屋を継ぐため、肘折に帰郷した。

その結果、「イラストタッチがいいのではないか」「デザイナーさんにお願いをしたほうがいいのではないか」という意見が出た。そこで、隣接する新庄市にデザイン事務所を構え、新庄・最上地域の広報誌、「季刊にゃー」の編集長を務める吉野敏充さんに相談をしたという。その時、同誌の表紙で、新庄市の飲食店街を俯瞰的に描いたものを見て、これの肘折バージョンができないか、と思い付き、話を進めていったそう。そして、吉野さんと、その表紙を描いたアーティストの藤原泰佑さんに依頼し、2022年、今の肘折温泉のポスターができあがった。

斉藤「今まで肘折ではポスターってかなり軽視されていた。今回は、今までにないポスターにしようってことで、話し合って。自前でグッズを作れて、儲かるポスターにしよう、っていうのはかなり強く主張しました。肘折の青年団のみんなはあまり商人っ気がないからね。」


斉藤栄輝さん
カメラを向けると、おもむろに名物のほていまんじゅうを取り出し、茶目っ気たっぷりにポーズを取って下さった。

斉藤栄輝さん(36)=肘折歴史研究会の共同代表の一人。大学を卒業後、株式会社花園万頭に勤務。その後、家業の商店を継ぐため、肘折に帰郷した。

そうした、「いわゆる普通ではない」「今までにない」ポスターを作ろうという目論見は大成功だった。新しい肘折温泉のポスターは、今やポストカードやTシャツ、トートバッグなどのグッズ化もされており、商店での売り上げも良いという。お客さんからは、ポスターそのものを販売してほしい、マグカップやクリアファイルも作って欲しい、など色々な要望があるそう。

自分たちがやっていて楽しいことを

こうした新しい取り組みの一つに、「湯治場ラジオ」の配信がある。機材の準備や編集作業は、コンピュータの扱いが得意な早坂さんが手がける。回ごとに、旅館や商店の若旦那などメンバーが集まって収録を行い、ポッドキャストで配信している。時には、常連客やリスナーをゲストに迎えて収録をしたり、Xのスペース機能を利用してリアルタイム配信を行うこともある。

毎話、収録現場の楽しそうな雰囲気が伝わってくる、等身大の肘折の「今」を伝えるラジオだ。オープニングはいつも軽快な音楽から始まる。この音楽も、肘折に常連客として訪れるプロの作曲家さんが作曲してくださったそう。

湯治場ラジオの撮影風景。
ラジオを聴いていると、メンバーの楽しそうな様子にこちらもつられてクスッと笑ってしまう。

ー湯治場ラジオはどうして始められたのですか。
早坂「ラジオは僕が好きだからです(笑)色々聞くのが好きで、ポッドキャストとかも好きで。飲み会をやってると、みんなね、面白い話を持ってるんですよ。みんな喋ると面白いんですよね。これはもったいないな〜と思って。自分も、喋っててなんか面白かったなってことは思い出せるんですけど、どんな話が面白かったのか、内容を忘れちゃうんですよ。だからなんか、それを残したいなって、またもう一回あの話聞きたいな、みたいな感じで、2020年の4月ごろから始めました。」

湯治場ラジオの配信は不定期、話題は肘折温泉ならではの、熊や山菜、キノコ、積雪の話題から、地元の運動会や修学旅行などのイベントの話題、アニメや映画など趣味の話まで、多岐にわたる。雪下ろしのASMRも配信している。

早坂「それからずっとゆるく続いていますね。毎週配信でもないし、毎月配信でもない。そんなにリスナーを増やそうとかも思ってない。最初は番組っぽくしたいっていうのもあったんですけど、あの人達とやると絶対真面目に番組っぽくはならない(笑)だから、それは早々に諦めて、雑談みたいな感じで楽しくやっています。」

取材期間中、湯治場ラジオの収録を見学させていただいた。ざっくばらんに話す中で、「こんなことをしたら楽しいかも」というアイデアが生まれるのも、この場の魅力なのかもしれない、と身をもって感じた。

早坂「僕らがやろうとしてることって、いつも、お客さんを呼ぼうっていうよりも、何か自分たちが楽しみながらやってることに対して、それに共感してくれるお客さんが来てくれたらいいなっていう感じなんですよね。」

コミュニケーションが生まれる場所

肘折の夜は静かで長い。雪の降る季節にもなれば、なおさら。商店も朝早くから店を開けるため、夕方5時には閉店する店が多く、あたりはすっかり暗くなる。

2018年、そんな肘折の夜に、一つの光が生まれた。静かな温泉街の中で一際賑わう酒場、それがカネヤマ商店の「角打ち」。商店の一角に、5〜6人ほどが座って一杯引っ掛ける。もともと飲食店の少ない肘折温泉で、夜にお酒を嗜むことのできる角打ちは、今や、なくてはならない存在だ。ここ「角打ち」を始めたきっかけについてカネヤマ商店の須藤和彦さんにお話を聞いた。

須藤和彦さん
カウンターからの一枚。人と人の距離が物理的に近いのも、角打ちと肘折の魅力の一つだ。


須藤和彦さん(42)=隣市の新庄市出身。大学卒業後、上京し、メッセンジャーなどの配送業に従事していた。2009年に新庄市にUターン、2014年に婿入りし、肘折にやってきた。2018年からカネヤマ商店の一角で「角打ち」の営業を始める。

須藤「ドラクエって、知ってます?ドラクエやる時って、新しい街に行ったら大体、最初に酒場に行って色々情報を得ますよね。そんな感じです。そんなパブみたいな感じを作りたかった。」

角打ちの原型は、肘折青年団で行っていた夏の外飲み屋台だという。それがすごく好きだったので、どうにか一人でもできるように縮小化したら、ここができたと須藤さんは語る。

須藤「外で飲むっていう文化をなくしたくなかったんです。宿から出る理由の一つとして飲みに行くっていくのがあるじゃないですか。お客さんを宿から出す理由を作りたかったというか。ずっと昔って、お風呂で仲良くなるとか、縁側で料理とかしながら仲良くなるとかあったと思うんですけど、今はそういうのがあまりない。だから、共通の“場”みたいのを作りたいなっていうのはありました。」

角打ちには様々な人が集まる。旅館の若旦那をはじめとした地元の人々から、肘折温泉の常連客、そして、初めて肘折に足を踏み入れた人も。隣に座ってともにお酒を酌み交わせば、そこには何の境界もない。そうして、様々な形のコミュニケーションが生まれてゆく。

湯治客の生の声を地元の人が聞ける場として。地元の人同士での交流や新しいアイデアが生まれる場として。常連客同士が再会を果たす場として。「角打ち」は今日も、様々な場としての役割を果たしている。

次世代にどう繋いでいくか

こうして、ユニークな取り組みが多数行われている肘折温泉だが、大きな問題に直面している。それは、「次世代がいないこと」だ。前述の通り、肘折温泉だけにとどまらず、大蔵村では高齢化が進み、若い世代の人口は少なくなりつつある。

早坂さんは、肘折青年団の団長を十年以上務めているが、昔は、基本的に三十代までで卒業という形だったという。現在は、旅館や商店の三十〜四十代のメンバーで主に構成されている。

早坂「二十代後半くらいの人たちが五、六人もいれば、その人たちに色々任せてっていうこともできるけど、一人、二人じゃ、お願いねって任せるのはちょっと大変すぎる。なかなか次に引き継げないって言うのはありますね。」

早坂さんや斉藤さんはどちらも、昔から肘折に帰ってくるつもりだったというが、二人のように、一度県外に出て、もう一度肘折に帰ってくる、といったUターン組もそう多数派ではないという。そうなると、必然的に旅館や商店単体としても、地域としても後継者不足が問題になってくる。

早坂「これから人が少なくなっていくのは間違いない。だから、色んなことを無理して維持していくのではなく、やり方を変えたりして、やれる範囲でやっていくっていう方がいいかなと。何を残すっていうよりも、何を残さないか。これを残したら、結局後々の人たちの負担が大きくなったりするから、これはもう残さないでいい、っていうのを考えていったほうがいいのかなって、最近思ったりします。」

より良いやり方を試行錯誤していくことや、無くした方が良いものを無くすという決断をすることは、これまでやっていたことをそのまま引き継ぐことよりも、苦しいことだ。

しかし、早坂さんの言葉の端々には、次世代がいないことを憂うだけではなく、肘折のこれからを、次世代により良い形で引き継ごうという責任感と前向きさが滲む。

早坂「お客さんに助けてもらえる地域になれればいいなとは思いますね。観光とか休みに来たりとかしてくれる中で、その中で、肘折の住民に近いような感じで、肘折を維持していくのに、なんかお客さんに手伝ってもらえるような仕組みとか、交流の場とかを作れたら面白いな、と。」

肘折の湯治客には、リピーターが多い。それも、毎月ここを訪れるようなコアなファンが多いのだ。以前、街歩き企画で集めたアンケートの結果では、半数くらいがリピーターだと回答していたという。人が少なくなっていく中で、そういった人たちの力を借りながら街を維持していくことが、暮らす人と訪れる人の双方に良い結果をもたらしそうだ。

肘折を愛する人たち

「現実的に色々無理なこともあるわけだけど。ただ、みんなここが良くって帰ってきていたり、ここに来たりしているわけだから。ここを大きく変えたいとは思わない。基本的な街並みも、いずれは壊れてしまうけど、でも残せるところは残したいなと思うんだ。」と語るのは旅館、若松屋村井六助の若旦那、村井美一さんだ。

村井美一さん
一緒に写っているマスコットキャラクター「八尺さん」着ぐるみは一から全て村井さんの手作りだというから驚きだ。着るのは結構大変だとか。

村井美一さん(54)=高知県出身で、商業高校を卒業後、長く土建業に携わっていた。2012年の肘折希望大橋の建設を手がけた際、同旅館に滞在していたことをきっかけで、若松屋村井六助に婿入りした。

村井「肘折はこういうイメージで、どうしたいっていうのは、それぞれが持っていて。それぞれが、思い描いていることや、自分の売りにしているところを声に出して、できることを少しずつやってみよう、っていうのはみんなが思っていると思うんだよね。」

肘折に生きる人々は、皆それぞれ個性的だ。お互いの持ち味やアイデアを尊重し、意見を出し合い、色々なことを試しながら、より良い肘折温泉の形を模索している。

須藤「肘折温泉ってこういう温泉にしようっていうグランドデザインがあまりないんですよね。やれる範囲で、都度都度アイデア出しながらやっていって、それを循環させていく感じ。」

斉藤「でも、みんな根底にあるのは郷土愛。自分たちがここを何とかしていきたいって思ってる。色々揺らいできている中で、郷土愛のない人間は耐えられないよね。」と、他の青年団の方々も口々に言う。

HP湯の里肘折温泉より開湯祭の様子。青年団の方々の笑顔が眩しい。

ここで暮らす人々にとって、肘折温泉という湯治場を守ってゆくことは、日常の延長線上にある。変わりゆく社会や地域の中で、毎日を生き、”変わらない良さ”を求められる湯治場を守っていくということは容易いことではない。次世代に引き継ぐことに不安を感じることもあるという。

そんな中で、お互いの持ち味やアイデアを尊重し、意見を出し合い、色んなことを試しながら、皆でより良い肘折温泉の形を模索している。大仰な言葉で飾ることはしない。しかし、肘折に暮らす人々の中には、この土地の自然環境や、ともに暮らす人々、湯治客への、静かに灯る愛がある。

人が少なくなる中で、今あることを形を変えながら、出来る範囲で続けていこうとするひたむきさと柔軟さ。肘折に生きる人々は、しなやかな強さと、あたたかい優しさを合わせもっていた。肘折の街は、そんな人々の姿を映すかのように、いつでも優しく、どこかゆったりとした時間が流れている。

もし、人生に疲れたなら、肘折温泉を訪れてみてほしい。きっと、自分にとって何か大切なものが取り戻せることだろう。



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