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片手は堅実、片手で遊ぶ

21卒大学生です。ここ最近、働くということについて考えていました。

「片手は堅実、片手で遊ぶ」とは誰に言われたわけでもなければ、特にうまい言い回しだとも思わないけれど、私の座右の銘としてその地位を譲ってくれない言葉なのです。いつからだろう、高校生の頃かな。


堅実に日々を過ごすけど、それだけじゃ面白くないから冒険する。

ほんのひとかじりではなく片方の手は全て遊び(という名の挑戦の場合もあるかも)に使っちゃう。
けど絶対堅実は離さない。というか性格的に離せない。

このバランスが取れている時が最も私は満足できるのです。

しばらく生きてきて気づきました。


『友達と徹夜で飲んで次の日は1日中寝ていたよ』が楽しい人もいる。
私はその日23時くらいまでわいわいして次の日はバイトに行くなどしたい。

『他のことに目もくれず論文提出の追い込みの1週間本気で取り組んだよ』が達成感につながる人もいる。
私は1時間ずつ3か月間取り組み続け、好きなことも我慢せず触れ続けたい。

学生感丸出しの例えですが(笑)

真面目なことでも、不良なことでも、何か一つのことに注いでいる人はかっこよく見えやすいよ。
スペシャリストだもんね。

でも、私は。

何かに没頭しそうな時に不安になる。

「ひとつでは多すぎる」という言葉があるように。

私のエネルギーが一か所に注がれていくことに抵抗がある。
上手く大切にできなくなる予感がある。


じゃあ、どう働く?


働くことは、すべて必ずどこかの誰かの役に立つから。

働き方は、きっと自分を満足させるために選べばいいから。

魂をかけて何か一つへ注ぐやり方だけが働くことではないと思うから。


私は昨春に就職活動を終えた身です。就職先で行う日々の業務として
「好きなこと」ではなく「嫌いじゃないこと」を選びました。
堅実に社会の役に立れば私は嬉しい。たくさん喜びを感じられると思う。

好きなことにはこだわりが出てきてしまう。
好きで居続けるには、遊びとして片手だけ持っておくのが良い距離感。
逆に手放すことも絶対にないし、果たしたいことはこの手の中に、常に、しっかりとある。心地よい温度感を保ち続け、じっくり向き合える気がする。


全身全霊何か一つを追求する人への尊敬の念は存分にあるけれど、
”そうあるべき”という目で見つめないようにしたいと思っています。

自身が持つ多才さを上手く認めてあげることが出来ず、何者かにならなきゃと焦る若者はいると思う。私も一言で説明がつく何者かになりたくて焦っていました。
けど、何かになることではなく何かをすることが本質で、結果や肩書ばかりを求めていると私は人生永遠に焦り続けるなと思ったんです(笑)

私のストーリーを生きられたら、何を得ても失っても大丈夫。

「型にとらわれずに、自分が満足できる選択をすること」と言うと平たい言葉かもしれないけれど、自分の満足感の正体を暴くことは本当に大切だと思うのです。私の場合は両手のバランスが本当に大事。そのベースがあって初めてもっと詳細な部分を詰めていける。

現在地で思えたことはここまで。

世の働く大人たちを尊敬しています。
もうすぐ仲間入りするからね、厳しいゲンジツシャカイ…!


菜々子














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